2019-05
シクラメンの香りと記憶
ボーカルのレッスンをしていると、アロマテラピーレッスンのようになる日がある。
どの種類のアロマオイルがボーカリストにとって良いのか、あるいは、その人にとって効果があるのかを、レッスンで説明させてもらう。
ボーカルレッスンで時間を割いてまで説明する理由は、それほど、アロマオイルの効能が凄いからだ。
香りは記憶と密接に関わる。
キンモクセイの香りがすると、私は通っていた小学校の玄関に一気にワープする。
香りと同様に、音楽もまた記憶と密接な関係にある。
この効果を巧みに小説の世界に取り入れているのが村上春樹さんだ。
村上作品を読んだことのある人なら、彼が持つ音楽の深い知識に感服するだろう。
ひょんなことから、アロマテラピーの講師をしている私の友人と、シクラメンの香りについて歌った彼は親しくなった。
香りと音楽が彼らを繋いでくれたように思った。
出会いとは不思議だ。
彼の声には独自の響きがある。
私はその響きがとても好きだ。
つやつやで、落ち着いていて、なおかつ威厳のある響きだ。
私もいつか、あんな響きの声を出せるようになりたい。
人が歌う理由は、歌う人の数だけある。
理由なんか無い、
あるいはわからない、
という人もいるだろう。
初めは理由がわからなくても良い。
歌いこんでいくうちに、理由らしきものがわかった時、その人の歌は自然と変容する。
シクラメンはどんな香りがするのだろう。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
人には音楽の種が本当にある
ギターという楽器は女性の身体をかたどっている。
彼が奏でるギターの音は女性性を鼓舞する。
彼の爪弾くギターの音は忘れていた遠い記憶を蘇らせる。
彼とは、ギター科講師の地主先生のことだ。
『なんか地主先生のギターの音は特殊な気がする』とラクジー師匠に伝えると、
『そうやー、アイツのギターの音は特殊。だから特に女性がアイツのギターで歌うと感情が溢れ出るんや。アイツ自身は全く意識していないが、呪術や』
と教えてくれた。
私はラクジー師匠の言葉に全面的に同意した。
普段、圧し殺している抑圧された感情が溢れ出ると、一つの合図として、涙が流れる。
その涙に出会えた時、観た者も同時に自分の中にある何かが浄化される。
これがライブの醍醐味でもある。
ある日、彼女はライブで歌いながら泣いた。
彼女は泣いたことを私に謝った。
しかし、私は彼女が泣いたことを喜んだ。
歌いながら泣いてしまう事を私は悪いことだとは思わない。
それは彼女にとって必要なことだからだ。
もちろん、公の場だし、ボーカル的にも鼻腔が詰まって発声しにくいし、など表面的に色々考えてしまうことはあるだろう。
しかし、それを飛び越えてでも感情を出さなければいけない時だってある。
言うまでもなく、音楽には人を癒す力がある。
音程がうまくとれなくても、
リズムが多少合わなくても、
どんな人にも音楽の種があるのだ。
私が幾度となく、レッスンやライブで体験してきたことだ。
『人には音楽の種がある』という、みくら音楽工房のキャッチコピーを考えてくれたラクジー師匠。
その人の持っている種が、どんな類のモノで、種を育てるために、何が足りないのかを見抜く力は鋭い。
ラクジー師匠からのキャッチコピーはみくら音楽工房への最大のプレゼントとなった。
私はたしかに受取った。
とても大切にしている。
そして、生徒さんへと繋げる。
彼女が着ていた水色のワンピースはとても美しかった。
種が育つためには、水が必要なのだ。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
太陽と共に
太陽信仰🌞だ。
太陽によってもたらされる恵は計り知れない。
仕事柄、普段レッスン室に引きこもっている時間が多いので、春になると無性に太陽の光を浴びたくなる。
みくら音楽工房から徒歩3分の大野湊神社へと散歩がてら、地主会のお礼参りに出かけた。
幼稚園の頃から神社に行くのが大好きだった私は、太陽の光を浴びながら、大野湊神社の神様に、
「おかげさまで、第3回地主会を無事終えることができました。ありがとうございました」とお礼を伝えた。
この神社、私のお願い事を次々に叶えてくださるのだ。
私は「気持ちが良い神社だから行ってきたらいいよー」と、みくら音楽工房のレッスンに通ってくれている生徒さんによく声をかける。
隣接する大野湊公園もなかなかステキな公園で、いつも色んな年代の人が散歩に来ている。
散歩をしていると思いがけないことを考えついたりする。
ふと、彼のことを思い出した。
「鼻が良くなれば、彼の中に閉じ込められたままのエネルギーが、循環し始めるのではないか?」
彼が大きなエネルギーを持っていることは知っていた。しかし、それを出しきれずにいる。
どうしたら、歌としてそのエネルギーを活用できるかを考えていた。
太陽の力と、散歩の力、大野湊神社の力は偉大であった。
「ああ、鼻だ」と、急に思いついた。
太陽が昇る東は「3」を表す。
これから彼には、更にみくらライブや地主会に「参加」してもらおう。
彼の歌に兆しを感じた。

石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
半分、そして翔ぶ
自分が生きて来なかった、もう一人の自分。
もう半分の自分。
夢の中では『影』として現れる。
ユング心理学でいう、『シャドー』だ。
影とは中々の存在で、どのように関わっていくのかで、
人の人生は大きく変わる。
興味のある方は、
河合隼雄さんの
『影の現象学』をぜひ読んで頂きたい。
先日、私の半分の年も生きていない人の歌を聴いた。
もともと彼は感受性がとても豊かで、すくすくと歌も心も成長していった。
彼は一音ずつ、とても丁寧に歌った。
彼の歌を聴いていると、イメージと声が同時に出ているように思う。
本当はどちらが先なのか、ということを考える必要は無いような気がする。
ただ、そこに彼の歌がある。
彼の歌の伴奏をしたギター科の地主先生は、
『あの子、あの子やよね?』と、彼の存在を私に確認してきた。
短い年月の間に彼は、風貌、声、醸し出す雰囲気など色んなことが変わったのだ。
彼の歌を聴いたラクジー師匠は、
『あの曲を歌っている歌手本人より、良い歌を聴かせてもらった』
と、孫を見るような優しい目で言った。
真っ直ぐ、着実に、安全に彼は成長している。
彼はこれからどこへ翔んでいくのだろうか。
みくら音楽工房のみんなで彼の成長を支えていきたい。
子どもや孫のような年代の彼らを見守り、支えていくことは自分の中にある内なる子どもを育て、影と上手く付き合っていくコツかもしれない。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
人生を歌う時
人生を歌うためには、生きなければならない。
経験していないことを想像で歌うことも、ある程度はできるのだろうが、余程イメージの力をコントロールできる人か、湧き水のようにドンドンとイメージが溢れ出る人でないと難しい。
人生を歌える時期に差し掛かった人の歌を聴くと、どのようにその人が生きてきたのか、見せてもらえる。
短い映画を見ているようだ。
人は自分の話を聞いてもらいたい、という欲求がある。
一人の人の話を聞き続けるという行為はなかなか難しい。
苦痛と感じることもあるだろう。
しかし、『聞く』という行為が熟達してくると不思議と歌えるようになる。
先日、5月に吹く爽やかな風のような声の持ち主の歌を聴いた。
彼の声は繊細で、細い。
しかし、その声には意志が強く宿っている。
彼の声を聴くと、いつも新緑の黄緑色と清流の水色を思い浮かべる。
私には出せない色の声。
もしかすると、私の中にはすでに存在しているが、まだ発見できていない色の声なのかもしれない。
歌うことで、彼の人生には新しい色彩が増えた。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
フラミンゴ色
ある話題について、彼は淡々と説いてみせた。
具体例を用いて、とてもわかりやすく、完結な説明であった。
感情的にはならず、ユーモアまでも取り入れる表情には余裕さえ感じた。
身長が伸び、声も変わり始めたが、彼の心はそれを上回るほど成長していた。
その表情はすでに、一人前の大人のように見えた。
彼の頬は歌の中に入って行くとフラミンゴ色に染まる。
少年の世界と、大人の世界を行き来する特有の時間を彼と共有できることに私は感謝する。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
バカンスでみくら旅
イタリア人はバカンスを楽しむという。
一か月ほど休暇を取り、各々好きな場所へと出かけるらしい。
今の私はそんなに休暇は取れないので、月に一度、ラクジー師匠がガイドするみくら旅に出かける。
先日、笑顔が愛らしい彼女と、難しい曲を一緒に歌った。
私は彼女を誘い、みくら旅に行くことにした。
しかし、彼女は直前に酷い風邪をひいてしまい、みくら旅に行けなくなってしまった。
彼女が一番悔しがっていた。
気持ちはよくわかる。
みくら旅は普通の旅行とは一味も二味も違うからだ。
風邪(ふうじゃ)という邪魔が入ってしまったが、風邪をひくことは悪いことばかりではない。
浄化の作用がある。
一旦、浄化をしてからまた、みくら旅に行けば良い。
私はまた彼女をみくら旅に誘おうと思う。
彼女が歌をきっかけに本当に知りたかったことを体感してもらいたいから。
全身でラクジー師匠のアドバイスを聴いていた彼女の横顔には、『用意はできた!』と書いてあった。
真剣な表情というものは、美しいと思う。
彼女の挑戦を私は応援したい。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
会いに来てくれる
火曜日の夕方、彼は私に会いに来てくれる。
白い車で金石にあるみくら音楽工房へと来てくれる。
彼は歌の研究者のように思うことがある。
おでこ、つま先、スネ、頬骨、口輪筋など、歌う時にどの方向に意識づけするのかを毎週研究してくる。
その研究結果を私に教えてくれる。
私はその研究の結果、彼の歌と声がどのように変化したかを伝える。
そんなやり取りの中で、私が彼に教えてもらったことは数知れない。
教えるという行為は、相手から教わる行為でもある。
彼らしい言葉の選択で、私に一生懸命伝えようとしてくれる。
お互いのことを全て分かり合えるということはありえない。
わかったフリをすることで何となく、こういうことか?とコミュニケーションが取れ始める。
しかし、そのやり取りが長年にわたって繰り返されると、フトその瞬間が現れる。
わかった、と思える瞬間だ。
「分かり合えない」という事を前提に不完全な言葉と歌を使い、「分かり合いたい」と思うことがコミュニケーションということなのかもしれない。
去年彼は私に嬉しい言葉をかけてくれた。
『先生、ピアノ上手くなったぞー!』
けっして上手くない私のピアノをずっと彼はちゃんと聞いててくれたのだ。
また火曜日に会おう!
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
少年から青年へ
厚着をしていた服を一枚一枚脱ぎ捨てるように、彼は自分をさらけ出すことを習得した。
少年の頃の記憶と感情を振り返り、一言一言確認するように歌う。
続けて、少年から少し時間が経過した頃を歌う。
強さを纏っていた。
彼は己と戦い、強くなっていた。
歌を通しての、その変貌ぶりに私も彼も二人で笑いながら真剣に驚いた。
彼と一緒に演奏をしたことは私にとって大きく意味のあることだった。
私は彼の声の波動に合わせて、ピアノの鍵盤をおさえる指の型を変えた。
彼の歌の力を借りて、私も強くなれた。
歌い終えて、彼は旅立つ。
遠く離れた場所で彼にしか体験できない青年期を過ごすだろう。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵
共に泣ける人
私の夢の中に彼女は現れた。
夢の中で私は、地主会のプログラムの原稿を作成する際に彼女の歌う曲名の英語のスペルを間違えてしまった。
正しくはcry。
間違えて、Loveと記載してしまった。
夢の中で私は彼女に謝っている。
しかし、彼女は怒るどころか
ニコニコ笑いながら
『全然、大丈夫!』と言っている。
こんな夢を見た事を忘れていた。
その後、何日かの日常を過ごし、みくら旅に出かけた。
椿の花と葉っぱが鮮やかな坂道を下っていると、ふと先の夢を思い出した。
『あー!』
私の中で夢の世界と現実の世界が繋がった。
夢の意味がわかったのだ。
『泣く必要はない。愛でいいんだ』
彼女も一緒にみくら旅に来ていたので、呼び止めて説明した。
『あー!!』と言って
彼女も一緒に納得した。
レッスンで歌詞のイメージを共有し、特殊な磁場に立つと夢からのメッセージを受け取ることができる。
彼女が私の友人であることも関わっているが、共時性が働く条件の様なモノを体感した。
もう泣く必要はない。
なぜなら、彼女には愛が備わっているから。
隣に泣く人がいれば、彼女は寄り添い共に泣く事ができる人だ。
マイクを握っていない方の手から溢れ出るエネルギーと歌声は愛そのものであった。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵