大場佳恵のブログ
人には音楽の種が本当にある
ギターという楽器は女性の身体をかたどっている。
彼が奏でるギターの音は女性性を鼓舞する。
彼の爪弾くギターの音は忘れていた遠い記憶を蘇らせる。
彼とは、ギター科講師の地主先生のことだ。
『なんか地主先生のギターの音は特殊な気がする』とラクジー師匠に伝えると、
『そうやー、アイツのギターの音は特殊。だから特に女性がアイツのギターで歌うと感情が溢れ出るんや。アイツ自身は全く意識していないが、呪術や』
と教えてくれた。
私はラクジー師匠の言葉に全面的に同意した。
普段、圧し殺している抑圧された感情が溢れ出ると、一つの合図として、涙が流れる。
その涙に出会えた時、観た者も同時に自分の中にある何かが浄化される。
これがライブの醍醐味でもある。
ある日、彼女はライブで歌いながら泣いた。
彼女は泣いたことを私に謝った。
しかし、私は彼女が泣いたことを喜んだ。
歌いながら泣いてしまう事を私は悪いことだとは思わない。
それは彼女にとって必要なことだからだ。
もちろん、公の場だし、ボーカル的にも鼻腔が詰まって発声しにくいし、など表面的に色々考えてしまうことはあるだろう。
しかし、それを飛び越えてでも感情を出さなければいけない時だってある。
言うまでもなく、音楽には人を癒す力がある。
音程がうまくとれなくても、
リズムが多少合わなくても、
どんな人にも音楽の種があるのだ。
私が幾度となく、レッスンやライブで体験してきたことだ。
『人には音楽の種がある』という、みくら音楽工房のキャッチコピーを考えてくれたラクジー師匠。
その人の持っている種が、どんな類のモノで、種を育てるために、何が足りないのかを見抜く力は鋭い。
ラクジー師匠からのキャッチコピーはみくら音楽工房への最大のプレゼントとなった。
私はたしかに受取った。
とても大切にしている。
そして、生徒さんへと繋げる。
彼女が着ていた水色のワンピースはとても美しかった。
種が育つためには、水が必要なのだ。
石川県金沢市にあるギターとドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師
大場佳恵