2015-04
橋を渡り光の中へ
この写真は先日のラクジー師匠が企画・ガイドするみくら旅の一コマです。
うーむ。
なんていう名前の神社だったかなぁ。
奈良県にある神社です。
すいません、神社に行き過ぎていてどこがどこだったかよくわからなくなってきました。
みくら音楽工房の生徒さんの後ろ姿が映っています。
夕方に迫ってきた神社はより一層美しく見えます。
旅をしていると一日の中での太陽の変化がよくわかります。
日常の時間と空間を超えた別の場所に来ている感じがします。
非日常を体感したくて人は旅に出るのではないでしょうか。
みくら旅では超メジャー級の観光地へはあまり、いや、ほとんど行きません。
人知れず美しく、ひっそりと、厳かに、でもどこか怪しげ在る神社に出かけることが多いのです。
ラクジー師匠が旅行会社の添乗員に転職すれば、日本の旅行業界の在り方はひっくり返るのではないでしょうか。
観光とは、光を観ると書きます。
パターン化した観光旅行では光を観ることは決してできないと思います。
私は今回の奈良県の旅で光をたくさん観ることができました。
参加者お一人ずつの中にある特別に放つ光も垣間見ることができました。
そして、例によって旅から帰ってきてから最初のレッスンではみくら旅に参加した生徒さんの声が異常に良く出ていました。
ウォーミングアップの声出しのフレーズでSちゃんは、あまりに声が良く出るので途中から笑い始めました。
私も思わず笑いました。
心と身体はやはり繋がっているのだと改めて強く感じました。
石川県金沢市にあるボーカルとドラム教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
タイムトリップ
ドラえもんとのび太くんが過去へ行く時に乗って行く乗り物を知っていますか?
小学生の頃、テレビでドラえもんを見ていつもあの乗り物に乗ってみたいとおもっていました。
未来に行けるなら18歳がいいなぁと思っていました。
なぜなら車の運転免許を取れるから。
私のドライブ好きは幼少の頃からでした。夜泣きをすると父が車に乗せてドライブをしてくれました。
私の機嫌が直り、家のガレージに着くとまた泣き出したそうです。
『もっとドライブをしろー!』
と言わんばかり力いっぱい泣いていたのでしょう。
写真は先日、ラクジー師匠が企画・ガイドするみくら旅で出かけた奈良県のお寺の回廊です。
この道にはどんな人たちがどんなことを思いながら歩いていたのだろう?
どんな色の服を着ていたのだろう。
その時代の政治はどんな感じだったのだろう。
アイフォンのカメラ画面を通して、この道の遠い昔の記憶に吸い込まれて行きました。
今回の旅は特別な旅でした。
いつも、みくら旅は特別なのですが。
参加者のみなさんがそれぞれに色んな思いを抱いて特別な場所に立つ。
側から見れば11才から65歳の仲間は奇妙に見えるのかもしれません。
『大場』と言う名は、『絶対の場所』
という意味だそうです。
私は大場なのだ。
これから歌う時には、呪文のように
『私は大場』と唱えてから歌うことにしよう。
石川県金沢市にあるボーカルとドラム教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
その人の色
約2ヶ月ぶりに身体のメンテナンスに行きました。
酷い寝違えと、仕事で出来てしまういつもの首のゴリゴリを取ってもらいに福井県にある友達の京子ちゃんのアロマトリートメントサロンに行きました。
なぜ福井県まで行くのか?
このサロンは檜をはじめ、様々な木で作られていて玄関に入る前からすでに木の香りが充満しています。
神社などを建てる宮大工さんたちが最高の木を使い作った建物なのです。
それらの木を選んだのは木の専門家である京子ちゃんのお父さんです。
私はこの京子ちゃんの自宅サロンを
山崎神社と勝手に呼んでいます。私には神社に見えます。
京子ちゃんの名字が山崎さんなのです。
ということで、この写真は京子ちゃんの名刺です!
オシャレです。
サンプルを見せてもらった時、思わず
わぁー!と声が出ました。
デザインしたのはラクジー師匠の娘さんです。
みくら音楽工房のホームページやフライヤーもデザインしてくれているNちゃんです。
抜群の色彩感覚にいつも驚きます。
Nちゃんはデザインする前によく打ち合わせをしてくれます。
相手の気持ち、考え方、コンセプト、色の好み、さらにはこれからどうしたいのかなどを聞いてそれを巧みにデザインに取り入れていきます。
面白い職業だなぁといつも思います。
イメージを具現化させる作業はとても大変です。
しかし、イメージがなければそこには何も生まれません。
この名刺は京子ちゃんそのものだと思いました。京子ちゃんと仲の良い人なら同じことを感じるのではないでしょうか?
京子ちゃんもきっと、お客様の身体の流れをイメージしながらマッサージをしているのだと思います。
さらに京子ちゃんのブログも出来上がりました。
ボアサロン キョウコ
boasalon-kyoko.blog.jp
福井県坂井市丸岡町山口54-19
どうぞ、ご覧ください。
ブログに掲載してある京子ちゃんの写真が私はお気に入りです。
写真も、名刺も、アロマトリートメントも、そして歌も全てイメージから始まっているんだと思いました。
ラクジー師匠、Nちゃん、京子ちゃん、
私。
繋がりながら仕事をして行くのはなんだか楽しいです。
京子ちゃん、ありがとう!
おかげさまで身体の流れが復活しました。
石川県金沢市にあるドラムとボーカルの音楽教室
みくら音楽工房
ボーカル科講師・大場佳恵
金沢妄想奇譚-9
どこまでが夢なのか、とにかく歩く
去年はトボトボと近くの川沿いの桜道を歩いていたように思う。
一昨年は山桜を見ようと車で山に向かったのだが、まだ早すぎてがっかりして帰った。
十数年前に、思いもかけずに京都の鴨川沿いで車中から夜桜を見たとき、運転手さんが
「お客さん、ラッキーですねえ。いつもなら季節外れで散っている頃なのに、
ことしは冷え込んで今頃になりましたわ」と嬉しそうに言った。
植物園あたりでタクシーを止めてもらい、夜桜の路を川面の冷気を含んだ風を
頬に受けながらトボトボと歩いた。
四十代の後半だった。
いったい、わたしは、どこに行くのか、なにを探しているのか、そう思った刹那に
老いた桜木が枝を震わせて笑った。
「何度生まれてきてもお前さまは阿呆のままだねえ~」
老木は風に揺られながらシワだらけの樹皮を軋ませるように呆れ声でそう言った。
どこまでが道なのか、川なのか。
「西行法師は衆道の道行じゃったが、お前さまは独り道だな」と老木。
「願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」と法師の和歌を私が口ずさむと
老木はまた笑った。
道を進んだ時、運転手さんの呼び声が聞こえた。
“ねぇわたしいつ死ぬの”桜咲くたび聞く女
永観堂の板廊下を歩き、燃える炎のような紅葉の庭を見やりながら
私は何かに怯えていた。
晩秋の冷風に侏儒のように身を縮めて渡り廊下の端をそろりと歩き、
こころを震わせていた。
東大寺別当を辞して、永観が下賜された仏像の“見返り阿弥陀”を背負って京に戻り、
仏像を須弥壇に安置した時、奥深いところから声がしたという。
“永観、おそし”振り返りながら阿弥陀仏はそう声をかけたのだ。
永観堂を訪ねる前に、八坂神社に参詣したのだが、参拝する人混みをかき分けて
わたしに向けて語りかける女の声がした。
「ねぇわたしいつ死ぬの」
その声に振り返って見ても、誰もいない。
よもや、永観堂の御本尊様のいたずらかと訝ったが、阿弥陀様が
あのような呼びかけをするはずがないと思い直した。
昔の永観堂は静謐のなかにひっそりと在ったのだが、近頃では観光地化がすすんで
八坂神社に引けをとらないほど数多の人たちであふれている。
永観堂に着いて足早に回廊を進んでいくうちに、わたしの方向感覚が狂ったのか、
それとも上り廊下を間違ってしまったのか、こころに私を急き立てる声がしきりに
聞こえてきた。
晩秋の紅葉を透き通す光が私の行く手を阻むかのように立ちはだかったり、
チロチロと陽炎のように襖に燃え映りながら私を本堂へと導いた。
ようやく本堂にたどり着き息を殺して“見返り阿弥陀様”の前に進むと、
そこには見知らぬ女が座り込みながら独り激しく泣いているではないか。
見返り阿弥陀像の横に、「何を悩んでいるのか、おまえはもう救われてある」
と書かれた木札があった。
女がなぜそんなに激しく泣いているのか、そのわけは知らないが、たった今、
大きな力に女が救われたに違いないとそう思った。
首を左に傾けて、見つめる阿弥陀仏の透明な眼差しに、
私も女と一緒に救われたような気がした。
自分との対話
お正月にタモリさんが出演していたテレビ番組がありました。
その中でタモリさんは、
『人は自分と対話することが一番難しい』と話していました。
同感です。
何か自分の中で問題が起こった時に、因果関係を外に探しがちになります。
誰かのせいにしてみたり。
時代のせいにしてみたり。
しかし、問題の糸口は自分の中にあることが多いのだと思います。
圧倒的に他人に原因があることでさえ、深く自分と対話していくと実は見えない所で繋がっていたりします。
『音楽』という行為は自分との対話でもあります。
他人とのコミュニケーションでもあると同時に自分とのコミュニケーションでもあると思います。
ドラムを叩くという行為は何か自分の中にあるものを外に叩き出したいのかもしれません。
歌うという行為は言葉にできない何かを吐き出したいのかもしれません。
言語化できないものをすぐに言葉にしなくても良いのだと思います。
それを片隅に置きつつ、ゆっくりマイペースに歌えば良いのだと思います。
タモリさんを見ていてそう思いました。
小学生の頃からタモリさんと水谷豊さんが好きでした。
当時はなぜこの人たちのことが好きなのか言語化することはできませんでした。
そもそもそんなことする必要なんてないのですが。
同じ時代にこの人たちと一緒に生きているのだと思うとなんだか嬉しくなります。
明日はどんな風に歌おうかなぁ。
私の花粉症も落ちついてきたし、お天気も良いみたいなので歌日和になりそうな気がします。
石川県金沢市にあるボーカルとドラム教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
花が咲くとき
人からの評価を求めながら歌うのはもう止めにしよう。
散ることを知りながら歌うことができた時、花が咲く。
なーんて、私の中からサラッとこんな言葉が出てくれば、私の歌はステキなものになるんだけどなぁー。
先日、みくら音楽工房特別顧問のラクジー師匠とファミレスで打ち合わせをしている時にラクジー師匠からサラッと出てきた言葉をちょっと私がカスタムしてみました。
ドラム科の端谷先生のもとには可愛いチビッコの生徒さんがたくさんいらっしゃるようです。
私が隣の部屋で仕事をしていると、一ヶ月前よりレベルアップしたドラムの音が何やら聞こえてきます。
ドラムレッスンの仲間に入りたい気持ちをぐっとこらえて太鼓の音に耳を澄ませます。
ごめんなさい、盗み聞きをしていたわけではなく、たまたま隣の部屋にいたもので。
神社の近くで太鼓の音を聞きながら過ごすとはなんと贅沢なことなんだろうと、ぼーっとしていました。
人には音楽の種が本当にあるんだ。
みくら音楽工房のみんなで花を咲かせようね!
石川県金沢市にあるボーカルとドラム教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
雨女、本日も本領発揮。
どうした?!
というぐらい酷い雨女の大場です。
本日は仕事で大阪に行ってきました。
恐ろしい方向音痴と機械音痴の私がスマホの地図アプリを片手に知らない街を歩きます。
地下鉄の出口を出たとたん・・・。
雨。
雨雨。
雨雨雨ー‼︎
じゃんじゃん酷くなってきます。
アメノウズメは芸事のシャーマンです。
こうなったらトコトン、アメノウズメを目指しましょう。
写真は先日、ラクジー師匠企画、ガイドするみくら旅で出かけた富山県の神社です。
名前は・・・。
忘れました。
ラクジー師匠にお問い合わせください。
雨も滴る良い神社。
石川県金沢市にあるボーカルとドラム教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
お知らせ!
お花見、お花見ー!
桜の季節ですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、4月のみくらトークセッションのお知らせです。
⚫︎日程 4/14火曜日
⚫︎時間 20:00〜22:00
⚫︎場所 直接お問い合わせください。
⚫︎参加費 2,000円
新生活が始まる時期なのでお忙しいと思いますが、少し日常から離れたお話をしてみませんか?
大人になると自分の考え方や何気ない行動がパターン化しやすくなると思います。
新しいことを始めるには緊張と不安がつきもので、同じ事を繰り返ししている方がずっと楽ちんです。
仕事がてんこ盛りに溜まっていましたがとても良いお天気だったので、大野湊神社へお参りをしてから隣の公園で桜を見てきました。
なんとなく、さらに隣にある
銭屋五兵衛記念館にも行ってみました。
灯台下暗しとはまさにこのこと。
なんとすごい人がいたのだ?!とお花見気分も飛んで行ってしまいました。
すぐにパターン化してしまう私の価値観に新しい風が吹き抜けました。
加賀藩について、桜について、歩くことについて、体調について、海について、
パソコンについて、色々考えた1日でした。
それではまたー!
石川県金沢市にあるボーカルとドラムの音楽教室
みくら音楽工房・ボーカル科講師
大場佳恵
金沢妄想奇譚-8
「分け入つても分け入つても青い山」~ 種田山頭火
本日からブログを再開することにした。
もしや、ブログの拙文を心待ちにしてくれている読者がいないとも限らない。
「みくら音楽工房」のホームページに間借りしているからには、家賃に相当する一文を書いておきたい。
そうしないと、なんだか心が疼くのだ。
冒頭に掲げた放浪の俳諧師、種田山頭火(たねださんとうか)は一昔前に有名になったので、
ご存じの方も多いかも知れない。
ここで、通常の俳句の形式を大きく逸脱した山頭火の「自由律俳句(じゆうりつはいく)」について
確かめておこう。
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。
季題(季語)にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに
重きが置かれる。
文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多いのも特徴である。
特に短い作品については短律とも言う。
以下に代表的な自由律俳句をあげておこう。
曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ(河東碧梧桐)
咳をしても一人(尾崎放哉)
いれものがない両手でうける(同)
まっすぐな道でさみしい(種田山頭火)
分け入つても分け入つても青い山(同)
うごけば、寒い(橋本夢道)
ずぶぬれて犬ころ(住宅顕信)
若さとはこんな淋しい春なのか(同)
夜が淋しくて誰かが笑いはじめた(同)
ここで、自由律俳句を取り上げた本当の理由を明かそう。
それは、今話題のお笑い芸人ピース又吉直樹の小説「火花」(文藝春秋刊)を読んで、のことだ。
又吉直樹がコラムニストのせきしろと組んで自由律俳句の著書「カキフライが無いなら来なかった」、
「まさかジープで来るとは」(幻冬舎刊)の二冊で、自由律俳句と彼らが撮った写真がコラボし、
二人の世界観満載のエッセーへと連なっていくのを読んで、冒頭の放浪の俳人、種田山頭火を思い出した。
「弱火にしたいのに消えた」(せきしろ)
「急に番地が飛んだぞ」(又吉直樹)
「回文じゃなかった」(せきしろ)
「起きているのに寝息」(又吉直樹)
「自分の分は無いだろう土産(みやげ)に怯(おび)える」(又吉直樹)
「爪楊枝(つまようじ)の容器を倒して乱雑に戻す」(せきしろ)
「初めて発音するデザートを頼む」(又吉直樹)
見えないものを短い言葉で照射するその鋭い感覚に驚く。
短い断片のような言葉の背後に隠された物語を予感させる闇が、あるいは人の感性のきらめきが
スパークして貫く。
日常生活の既視感に染まったままでは見えない世界が、鋭く立ち現れて、わたしを幻惑してやまない。
又吉直樹の小説「火花」の中でも自由律俳句が効果的に使われている。
ここでは小説について敢えて感想を述べないが、それはきわめて優れた彼の才能に対するわたしなりの
礼儀であり、このブログを読んでいる方に、ぜひ書店に行って本を買って読んでいただきたいからだ。
わたしは、これまでにゆうに一万冊以上の本を読んできたが、まだ荒削りな表現はあっても「火花」は、
すぐれた小説であり、太宰治をすり抜けた才能が又吉直樹には確かにあると評価している。
「火花」を「花火」と読みまちがえた、それもまた(又)よし(吉)」 (恵蔵)