金沢妄想奇譚

妄想奇譚ー6

夢の世に 落つる赤子は凍てつきて 奈落の庭に 蒼きへそのを

気が付くと、二人のご婦人がミスドから消えていた。
話の結末が見えないまま、私の妄想は未消化な嚥下物のように咽喉あたりにつかえている。
そのおかげで、なんだか言葉がうまく出ない。
非常識な若い女の非常識な頼み事とは一体なんだろう?
紫婦人に嘘をついた夫の秘められた意図とは・・?
車の修理代金を受け取りに来た、紫夫人の娘と同じような年代の追突事故の被害者に、何を頼まれて、紫婦人があんなにも憤っていたのか?
「私に嫉妬させようとしていたのかしら・・」と、テーブルを挟んで前に座っている紅い眼鏡の女に笑いながらそう言った紫婦人の横顔が、疲れきっていた。
ついさっきまで交わされていたご婦人の会話が、印象派の絵画のように陰影を帯び始めて、わたしの脳裏に浮かぼうとするのだが、墨絵のように淡すぎて、イメージがぼやけている。
話の輪郭が見えないまま、果てしない妄想のキャンバスにわたしは一体何を思い描こうとしているのだろうか?
ありがちな想像に従えば、夫と同じ会社の若い女との間に道ならぬ恋のようなものがあって、その精算を試みた結果の逆走追突事故だったのかもしれない、、?
この想像はあまりにも通俗すぎて、わたし自身をげんなりさせるので、却下しよう。
つまらない事実よりも、嘘のような真実がいい。
ナイフのように腐りかけた心を切り裂くようなそんな嘘なら、事実がどうであれ、真実になる資格がある。
人の数だけ物語があるように、それぞれの真実があって、それに見合うだけの嘘が混在する人をわたしは信じる。

ミスドの店員が黙ってコーヒーを注いでいく。
毎日のように午後から夕方近くまで英訳された村上春樹の本をぶつぶつと呟きながら読んでいるうちに、ミスドの店員たちは、わたしの顔と習慣を覚えて、無言のままコーヒーを継ぎ足していくようになった。
わたしのような老人が本を読む姿に、彼らは慣れているのだろうか、彼らにとって、わたしという存在はもはや壁のシミのように自然で、違和感がないのかもしれない。
喫煙室から窓越しに外を見ると、日が陰り始めている。
残ったコーヒーを一気に飲んで帰ろうとした時、不意に失語症になった遠い昔の記憶がわたしによみがえってきた。

わたしがまだ高校生だった17歳の2月のことだった。
まだ残雪が町の裏通りに隠れるようにして積もったままの冬の夜、芸者がホテルの6階の窓から、出産したばかりの赤ん坊を投げ捨てたのだ。
この事件を行きつけの喫茶店のカウンター越しに、芸者仲間とおぼしき女達が笑いながら話すのを聞いた時、わたしは言葉が喉の奥に詰まったまま、一言もでなくなったのだ。
口から漏れるシューという音に、自分自身が驚きながら、なんとか言葉を吐き出そうと懸命になったのだが、アウアウとつぶやくばかりで、吐き出すべき言葉にうまく息が乗らない。
やがて言葉の代わりに、内臓をつらぬくような鮮烈なイメージがとぐろを巻いて現出した。
淡雪(あわゆき)の降る凍てつくような寒い夜の庭に、へそのおをつけたままホテルの6階の窓から投げ捨てられた赤児に、17歳のわたしが憑依してしまったのだ。
若い母親の両手の温かい感触、愛おしそうに見つめる眼差し、そして鬼のように張り詰めた表情。
窓から落下しながら見た淡雪が深々と降る庭の静けさと、冷たさ。
「ほんとに馬鹿な女だわ。馴染みの旦那に惚れて子供を産めば旦那と一緒になれると思って妊娠したら、旦那から子供を堕ろせと言われて、私一人で育てますと啖呵を切ったくせに、お世話になっているホテルのトイレの窓から産んだばかりの赤ちゃんを捨てるなんて、、、ほんとに非常識な女よ」芸者仲間とおぼしき女達の会話が、落下する赤児に絡みつく。

わたしの言葉が出ない限り、赤児となって淡雪の降り続けるホテルの庭に落ち続けろだろう。
母に産み捨てられた赤児がわたしに憑依したのではなく、わたしが赤児に生霊として憑依してしまったのだ。
自ら掛けた呪縛を解いて、わたしの言葉を復活させるために、この時、歌を詠(よ)んだ。
もう、二度と歌を詠まない~という誓いをたてて、白いコースターにシャープペンシルで歌を刻んだ。

~ 夢の世に落つる 赤児は凍てつきて 奈落の庭に蒼きへそのを~

それ以来、わたしは歌(短歌)を詠まない。

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2015-01-28 | Posted in 金沢妄想奇譚