金沢妄想奇譚

妄想奇譚ー6

夢の世に 落つる赤子は凍てつきて 奈落の庭に 蒼きへそのを

気が付くと、二人のご婦人がミスドから消えていた。
話の結末が見えないまま、私の妄想は未消化な嚥下物のように咽喉あたりにつかえている。
そのおかげで、なんだか言葉がうまく出ない。
非常識な若い女の非常識な頼み事とは一体なんだろう?
紫婦人に嘘をついた夫の秘められた意図とは・・?
車の修理代金を受け取りに来た、紫夫人の娘と同じような年代の追突事故の被害者に、何を頼まれて、紫婦人があんなにも憤っていたのか?
「私に嫉妬させようとしていたのかしら・・」と、テーブルを挟んで前に座っている紅い眼鏡の女に笑いながらそう言った紫婦人の横顔が、疲れきっていた。
ついさっきまで交わされていたご婦人の会話が、印象派の絵画のように陰影を帯び始めて、わたしの脳裏に浮かぼうとするのだが、墨絵のように淡すぎて、イメージがぼやけている。
話の輪郭が見えないまま、果てしない妄想のキャンバスにわたしは一体何を思い描こうとしているのだろうか?
ありがちな想像に従えば、夫と同じ会社の若い女との間に道ならぬ恋のようなものがあって、その精算を試みた結果の逆走追突事故だったのかもしれない、、?
この想像はあまりにも通俗すぎて、わたし自身をげんなりさせるので、却下しよう。
つまらない事実よりも、嘘のような真実がいい。
ナイフのように腐りかけた心を切り裂くようなそんな嘘なら、事実がどうであれ、真実になる資格がある。
人の数だけ物語があるように、それぞれの真実があって、それに見合うだけの嘘が混在する人をわたしは信じる。

ミスドの店員が黙ってコーヒーを注いでいく。
毎日のように午後から夕方近くまで英訳された村上春樹の本をぶつぶつと呟きながら読んでいるうちに、ミスドの店員たちは、わたしの顔と習慣を覚えて、無言のままコーヒーを継ぎ足していくようになった。
わたしのような老人が本を読む姿に、彼らは慣れているのだろうか、彼らにとって、わたしという存在はもはや壁のシミのように自然で、違和感がないのかもしれない。
喫煙室から窓越しに外を見ると、日が陰り始めている。
残ったコーヒーを一気に飲んで帰ろうとした時、不意に失語症になった遠い昔の記憶がわたしによみがえってきた。

わたしがまだ高校生だった17歳の2月のことだった。
まだ残雪が町の裏通りに隠れるようにして積もったままの冬の夜、芸者がホテルの6階の窓から、出産したばかりの赤ん坊を投げ捨てたのだ。
この事件を行きつけの喫茶店のカウンター越しに、芸者仲間とおぼしき女達が笑いながら話すのを聞いた時、わたしは言葉が喉の奥に詰まったまま、一言もでなくなったのだ。
口から漏れるシューという音に、自分自身が驚きながら、なんとか言葉を吐き出そうと懸命になったのだが、アウアウとつぶやくばかりで、吐き出すべき言葉にうまく息が乗らない。
やがて言葉の代わりに、内臓をつらぬくような鮮烈なイメージがとぐろを巻いて現出した。
淡雪(あわゆき)の降る凍てつくような寒い夜の庭に、へそのおをつけたままホテルの6階の窓から投げ捨てられた赤児に、17歳のわたしが憑依してしまったのだ。
若い母親の両手の温かい感触、愛おしそうに見つめる眼差し、そして鬼のように張り詰めた表情。
窓から落下しながら見た淡雪が深々と降る庭の静けさと、冷たさ。
「ほんとに馬鹿な女だわ。馴染みの旦那に惚れて子供を産めば旦那と一緒になれると思って妊娠したら、旦那から子供を堕ろせと言われて、私一人で育てますと啖呵を切ったくせに、お世話になっているホテルのトイレの窓から産んだばかりの赤ちゃんを捨てるなんて、、、ほんとに非常識な女よ」芸者仲間とおぼしき女達の会話が、落下する赤児に絡みつく。

わたしの言葉が出ない限り、赤児となって淡雪の降り続けるホテルの庭に落ち続けろだろう。
母に産み捨てられた赤児がわたしに憑依したのではなく、わたしが赤児に生霊として憑依してしまったのだ。
自ら掛けた呪縛を解いて、わたしの言葉を復活させるために、この時、歌を詠(よ)んだ。
もう、二度と歌を詠まない~という誓いをたてて、白いコースターにシャープペンシルで歌を刻んだ。

~ 夢の世に落つる 赤児は凍てつきて 奈落の庭に蒼きへそのを~

それ以来、わたしは歌(短歌)を詠まない。

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2015-01-28 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments » 

 

魂のめざめー4

~ 永遠の今 ~

怖れに向かう

 変化を受け入れない場合、その結果は悲惨なものだ。
自分の力でコントロールできないものに必死でしがみつき、絶対に勝ち目のない状況にとらわれている人を誰もが一人か二人は知っているだろう。
そんな人たちは未来を寄せつけまいとし、すべてをできるだけ今のままに保持しようとし、余裕のない偏狭な生き方に凝り固まって、恐怖におののきながら生活している。

 それは半分生きているような半分死んでいるような、怖れに支配された生き方であり、人を身動きできなくさせてしまう。
変化の可能性を受け入れないかぎり、人生の可能性を受け入れることはできない。
このことは考えると怖くなることもあるが、年をとるにつれて誰もが直面しなければならない真理だ。
変化を思い通りにコントロールしたいという気持ちは、知恵を得ようとする時に最大の障害となる。

 自我と変化の関係はインドの神話を見るとよく分かる。
神話の中で、女神(または生命力)は主に二つの形を与えられる。
カーリーとドゥルガーだ。

 カーリーは恐ろしい女神で、首には骸骨の飾りをぶら下げ、腰には切断した手のベルトをしている。
舌からは血が滴り落ち、手には血にまみれた刀を握っている。
カーリーは自我の敵で、私たちがまわりの世界をコントロールしようとしたり何かに執着したりする時に顔を見せる自我のひどい側面だ。
カーリーの役目は、自我を破壊して、執着しているものから私たちを解放することにある。

 私たちが自我を捨てると、カーリーはドゥルガーに変身する。
ドゥルガーは黄金の女神であり、燦然(さんぜん)と輝く偉大なる母だ。
意識的な老い方をしたい人は、自分が怖がっているものやカーリーにできるだけ近づく必要がある。
そうすれば、自分が何に執着しているかがわかり、その執着を捨てた後に心の平安を味わうことができる。

 将来に対する大きな不安に直面することは魂の次元へ入るための素晴らしい手段となる。
私たちにとって、〈今この瞬間〉に含まれるあらゆるものを素直に見つめようとする心が大切であり、その中には自分にとって恐ろしいものも含まれる。
では、いったいどのようにして実行すればよいのか。
それは、怖れをなくす努力をし、自分の心の闇を見つめることによってである。

 私が死にゆく人と関わるボランティアを最初にするようになった理由は二つある。
まず、16歳から17歳にかけて私を襲った体外離脱体験で見た異界の景色であり、そのような超常体験をとおして学んだ人の生死の有り様が、それまでの死生観とはまったく違っていることを伝えたいと思ったのだ。

 ほとんどの人は自分には肉体と精神しかないと信じ込まされてきたので、そういう人たちの死の床に一緒にいることによって、それよりもっと大きな真理があるのだということを伝えたかった。
心はもっと拡大できるのだということを伝えられれば、死にゆく人たちを助けることになるだろうと思ったのだ。

 だが、二番目の理由はもっと個人的なものだった。
ほとんどの人と同じく、私自身も死ぬことを恐れていたので、死の恐怖から解放されたかった。
三十代当時の私は、自我の執着心や無知にからんだ嫌悪感や渇望や混乱など、ほかにも多くの問題を抱えていた。
煩悩のくびきから逃れるために無常の法則の特訓を受ける必要があったのだ。

 変化と無常の法則についてもっと深く学ぶ機会として、死に直面している人たちと一緒に過ごすことよりほかに効果的な授業はないと分かっていた。

 今の私が死の恐れから完全に解放されているとはいえないが、死にゆく人たちと時間を過ごし、その結果、自分の中にある死への嫌悪感を見つめた体験のおかげで、死への抵抗が減ったということはいえる。
そうした体験がなかったら、私にとって死は抽象的でとらえようのない魔物のままで終わっただろう。
自分が恐れたり心配している変化を目の前に映し出すものに、わざわざ意識的に直面することによって、未来に対する恐怖が減っていく。

 変化の必然性を目にしてしまうと、自然の法則によって当然の経過が訪れた時に驚いたり慌てふためいたりしないですむ。
だからといって、苦しみがなくなるわけではないが、苦しみに新たな光を当てることになる。
八十代や九十代になっても「なぜ私だけがこんな目に遭わねばならないのか」と嘆く老人たちに出会ったことがあるが、そういう態度をとる代わりに、こういう変化に備えてきた人は品位を失わないで、明るく自分の苦しみに耐えることができる。
自我にしてみれば変化は苦しみだが、魂の観点からいえば変化は変化に過ぎない

 もちろん最終的には、私たちが未来にたいしてとる態度は、自分が神秘に対してどう感じているかということで決定される。
自分や自分の人生についてどんなにたくさん知っているとしても、私たちには決して知ることのできないことが常にそれ以上ある。
魂は神秘にまったく戸惑わない。
なぜなら、神秘は魂の性質の一部だからだ。
知恵ある大人として、私たちは自我がコントロールできるものは何もないことを悟って、未来は自然に起こるにまかせ、神秘に満ちた現在に静かに安らぐようになる。

永遠の現在

 意識的に老いる努力を重ねれば重ねるほど、私たちが時間の奴隷になっているのは考え方のせいだった、ということが理解できるようになる。
あなたは気がついていないかもしれないが、次のような現象を自分でも経験したことが何度もあるのではないだろうか。
例えば、夢中になって何かをしていた時のことを思い出してほしい。
面白い本を読んだり、うっとりする音楽に耳を傾けていたりして、いつのまにか一時間も経っていたことにハタと気づいた経験があるのではないだろうか。
自分がしていることに専念して(あるいは、まったく専念しないで)、思い出と予感や期待のあいだをピンポン玉のように往復する頭脳活動をやめたことによって、あなたは実質的に時間の枠からはずれてしまい、過去や未来から自由になったのだ。

 そうした永遠の時間を体験した後では、体も心もゆったりと安らいでいることに人は気づくだろう。
まるで自分が鉄の腕にしめつけられていたことを、その腕がはずれて初めて知ったかのように。
意識的な老い方が目標とするのは、まさにこうした体験だ。
年をとって暇が増えるにつれて、時間の拘束から逃れて好きな時に永遠の時間を発見するためにこうしたテクニックを利用することができる。

 この自由を手に入れるカギは「今この瞬間に時間は存在しない」ということを理解することだ。
世界の偉大な宗教の聖典がその教えの中で、この”永遠の現在“に言及して、神を求める者に〈天国を探すなら、今自分が立っているところより遠くを探す必要はない〉と教えている。
言い換えれば、永遠は今であり、現在に意識を集中するあまり時間の経つのを忘れるようになると、日常生活の体験の中に隠された次元があることを発見する。
その次元は常にそこにあったのだが、私たちが時間に拘束されていたのでベールに覆われていたのだ。

 “今この瞬間”というのは永遠へ至DSCN0462_Rる道である。

2015-01-26 | Posted in 魂のめざめNo Comments » 

 

妄想奇譚-5

~不思議と奇妙には近づかないのが一番~

スドの喫煙室でおかわりフリーのコーヒーを飲みながら、村上春樹の短篇集、「象の消滅」の英訳版を読んでいたら、近くのテーブルに座った二人のご婦人の会話が、私の耳に絡みついて、不意に二人の話が私の耳の奥にストンと落ちてきてしまった。

ご婦人方の会話に頻出した「吐き気」や「非常識」という単語が私の妄想癖を刺激したのか、イメージが飛んで、カミュの小説「異邦人」に、さらに実存主義哲学者のジャン・ポール・サルトルの小説「嘔吐」へと連なってしまった。
妄想の連鎖に歯止めをかけねばと思い直して、ご婦人の会話に注意を向けると、いきなりチューニングがヒットしたゲルマニュームラジオのように、二人の会話が私の耳に鮮明に飛び込んできた。

「あの女は常識を欠きすぎて、何が常識で非常識なのか見分けのつかないのよ」、「まるで、クイーンオブ非常識ねぇ~」、「娘のような年の女が、言うに事欠いて・・・あんな頼み事を私にするなんて・・」、「怖いわぁ~、とびきりの美人で、物腰が柔らかくて丁寧な話しぶりなんだもの、話の内容なんかどうでも、男なら聞く前に何だって承諾してしまいそうになるでしょうね」、「うちの旦那が私に事故の被害者を装いながら、実は赤信号で停車していた車をバックさせて、後ろで停車していたあの女の車に逆オカマよ。加害者が被害者を装って、今度はその被害者の若い娘が私の加害者になろうとしているなんて、許せないわ」。
紫の薄いカーディガンを羽織ったご婦人(以後、紫婦人と呼ぼう)と、紅いフレームのメガネを掛けた友人らしき女性(紅い女と呼ぶ)の会話は、私の耳に落ち続けている。

「ねぇ、あなたに忠告しておくけど、不思議と奇妙には近づかないのが一番よ」。 紅い女が、銀色のジッポのライターで指に挟んだタバコに火をつけようとしながら157_R
言うと、紫婦人は、顔を上気させながら「私はあくまでも常識的に解決したいのよ。常識的にね・・」と、なにやら困惑気味に答えた。

「美人すぎる女には無頓着がよく似合うのよ。あなたも昔は無頓着な人だったでしょ?」紅い女がそう言うと、紫婦人は「あなた、いまさら大昔の話を蒸し返さないでくれる。私の今の問題に関わってちょうだい」と、言い返した。
「それにしても、あなたの旦那様がなぜ?追突されたなんていう嘘をついたのかしら?嘘を突き通して黙ってあの女の車を修理すればよかったものを・・・よりによって女を自宅に呼んで、あなたから直接、車の修理代を彼女に払わせるなんて・・直ぐにバレる嘘には隠された意図があるのかな・・」そう言って、紅い女が左手にタバコを持ちながら、コーヒーを飲もうとした時、紫婦人が「私にヤキモチを焼かせたかったのかしら」と言って、小声で笑った。

 いったい常識と非常識の境界線はどこに在るのだろう。
私と同年輩らしきご婦人の「非常識な頼み事を常識的に解決したい」というフレーズが耳朶(じだ)に絡みついてなかなか落ちていかない。
紫婦人は被害者の位置にいる娘のような歳の“飛び切りの美人”の「非常識な頼み事」の背後に隠された夫の意図に困惑しているのだろうか?

夫が若い美人の部下と不適切な関係にあるかもしれないと紫婦人に匂わせるために、赤信号で停車中の車を故意に逆走させたのか?
そのような夫のやり方に、紫婦人は困惑し、吐きたいほど憤っているのか?
なぜ?修理代を奥さんの紫婦人から直接被害者の女に支払わせることにしたのか?
それとも夫の逆走追突事故には別の目的が有るのだろうか?
私の空気頭は、水の出ない蛇口のようにシューシューと鳴るばかりで、一滴の水も出ない。

非常識といえば、午後から夕方近くまでミスドの喫煙室でおかわりフリーのコーヒーを何杯も飲みながら、英訳された村上春樹の小説をぶつぶつと呟くように読み続けている私の存在自体かもしれない。

私が生まれた昔の温泉町では、非常識も常識も死語だった。
いや、そのような言葉はもちろんあったのだが、意味をなさなかったと言うべきだ。
午後の4時過ぎからネグリジェとパジャマ姿のまま連れ立って往来を歩き、喫茶店でモーニングを注文する連中と、注文を当たり前のように受けるマスターがいた。
「弟だから気にしないでね」、と平気でなじみ客に嘘を言い、芸者が夫を弟に仕立てあげて家から追い払い、客を自宅に招き入れて芸者置屋に内緒で稼いでいる間、男はパチンコ屋で時間をつぶす。
もう50年も前の話だが、住民票のないクラゲのような連中がどこからともなく温泉町に集まり、しばらく居ついては、定住することもなく消えていった。
現在のように、若い女性連れや家族で湯治に温泉街を訪れるような時代ではなかった。
他人の敷地に勝手に旅館を建て増して、後で無理やり安値に叩いて土地を取得した男が出世頭と呼ばれ、売春防止法で検挙されるたびに出頭する役目の副支配人が、阿吽の呼吸で当局に出頭して、また本来の百姓仕事に戻ってくる。
そのような非常識な連中によって、当時の温泉街が潤い、常識派だと自認する町民は彼らを玄人(くろうと)と呼び、自分たちをシロウトと位置づけて蔑視した。
そんなわけで、当然のように現在では温泉町自体がすたれている。
私は洋服店の次男坊として生まれたのだが、一日でも早く町を出たかった。

2015-01-24 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments » 

 

魂のめざめ-3

~未来への執着を捨てる~

失ったものを嘆き悲しむ

年をとるにつれて、失ったものを素直に悲しむことができる能力が大切になる。
これは当たり前のことに聞こえるかもしれないが、私の経験ではそうでもない。
私たちの社会では、感情を抑えて前向きの姿勢で生きることが奨励される。
「時は金なり」と時間の貴重性が強調され、緩慢(かんまん)や内省指向、憂うつな態度は嫌がられる。
そんな社会にあっては、喪失の悲しみは健康な真理であり人生の必然的な一面であるにもかかわらず、見過ごされることが多い。
ところが、年をとって失った人や失ったものが増えるにしたがって、意識的にそれらを悲しむことがますます必要となる。
喪失を素直に悲しめるようになって初めて、過去を捨て現在の瞬間に生きる可能性が生まれるからだ。

 私たちは老いるにつれて、失うものも増えていく。
これは無常の法則だ。
人は愛する家族を失い、大切な夢を失い、健康や仕事や人間関係を失う。
矢継ぎ早に失う気がすることも多い。
こうした喪失からは深い悲しみが生まれるので、私たちはそれを全面的に受け止める心の準備が必要だ。
そうでなければ、心を開いて生きることはできない。

 私は、ボランティアで、これまでの長いあいだ、死別や喪失を悲しむ人たちと関わってきたが、私がそうした人たちに何よりもすすめるのは、悲しみや痛みを抑えようとしないで全面的に味わうことだ。
苦痛を避けたがる生来の傾向に対抗するために、できるだけ苦痛に心を開き、深く傷つくにまかせる。
時間を充分にかけて自分が失ったものを思い出す。
それは死んだ友人や家族かもしれないし、長年の夢や希望かもしれない。
家を失ったことや、仕事や故郷を失ったこと、健康を失って二度と元の生活ができないことかもしれない。
喪失の悲しみの前に心を閉じるのではなく、こうして心を開くことによって、人は愛する者を失った時にのみ、喪失の悲しみを味わうのだと気づく。

 喪失を悲しむようになると、そのプロセスが白か黒かというように明確に分けられるものではないことに気づく。
どちらかというと、らせん状をたどり、悲しみを手放したかと思うと、しばらく元の状態に戻り、それからまた一段と深いレベルで悲しみが手放されるという具合に進行する。
死別や離別や失ったものを悲しんでいる時によくあることだが、もう十分に嘆き悲しんでこれで終わりだと思っていたのに、また深い悲しみが波のように襲ってきて戸惑うことがある。
こうした理由から、このプロセスには忍耐心が大切であり、早く終わらせようと焦らないことが肝心だ。

 喪失を激しく嘆き悲しむ時期はある程度の時間が経れば終わるが、人によってその期間はまちまちだ。
深い悲しみが完全に消え去ることは無い。
しかし最終的には〈愛は死より強い〉ということわざの真理に到達するだろう。

私は以前に、夫を突然に亡くした老婦人と出会ったことがある。
彼女の嘆きは深く、夫が死んでから三か月たっても泣いてばかりで食事もろくに摂れないありさまで、身体的にも大きなダメージを受けていた。
そんな様子をみかねた彼女の友人が、私のところへ連れてきた。
私は彼女の状況を次のようにたとえた。
「今、あなたが”知恵を生きる女性のための訓練“を受けていると仮定したらどうでしょうか。もしあなたが知恵のある女性となる訓練を受けているとしたら、あなたの人生で起こるあらゆる出来事は、あなたのためだということになります。亡くなられたご主人との関係や思い出は、あなたの知恵の一部となるでしょう」
その前に、彼女には夫との関係が魂の関係であることを理解する必要がある。
「あなたが肉体の次元では一緒にいられないご主人と、もし魂でしっかりとつながっていることを発見できたら、どうでしょうか?」
痩せ細った老婦人は、私の話に目を向けた。
「あなたが食事を摂らなければ、あなたの中にいるご主人も食べることができません。いつまでも泣いてばかりいて、ご主人からの呼びかけを聞き逃しているとしたら、これからもあなたは独りです。」
彼女の虚ろな眼差しが変わった。
「あなたはもう充分に悲しんだ」
そう言って私が彼女の肩に手をおくと、彼女は身をよじらせて泣いた。

未来への執着を捨てる

 〈今、この瞬間〉に意識を向けるようになると、過去から自由になれるだけではなく、未来からも自由になれることを人は発見する。
これまで、みくら会で、ミンデル講座(プロセス指向心理学)で学んできたように、未来が“起きる”前にその微かな兆しに気づけば、起きうる未来を自分の思考の中に招き入れて不必要に悩んだりしなくなる。
というのも、過去の思い出にとらわれてしまうのと同じように、未来への期待や予感にとらわれてしまうこともあるからだ。

 自分の手に負えないと思える難題やさまざまな期待を抱えて、多くの人が将来についてあれこれ思い悩む。
そして、現在をありのままに体験する代わりに「もし○○だったらどうしよう」という思考の海に投げ出されてしまう。
これは何の役にもたたない、虚しい行為だ。
身のまわりを整理して将来に備えなければならないのは当然だが、老人の多くがするように、ひっきりなしに心配したり不安からイライラしたり不機嫌になったりするのはまったく意味のないことだ。

 私たちが抱く恐れのほとんどは、よく見ると、どんな未来がやって来るかと自分が想像していることと関連している。
恐れは未知のものがあればあるほど大きくなる。
私たちの多くは自分が恐れているものを避けようとするが、恐れの威力を減じるには、できるだけ間近で怖れを見つめて、未来に対する自分の考えを現在に持ち込む方が有効だ。

 わざわざ未来を”招き入れる“ことはしたくないが、年をとるにつれて直面するさまざまな可能性に目をつむるわけにもいかない。
将来起きるかもしれない病気や死別や喪失などを数え上げてみると、自分が
自我でしかないと思っている限り、それは耐えがたく恐ろしいものに思える。
魂の次元があることを認めたり、瞑想を実践して魂の意識を体験したりしないかぎり、私たちは沈没する船に閉じ込められた自力で逃げ出すことができない乗客のようなものだ。

 しかし魂の観点から見るようになれば、恐れに打ち負かされることなく怖れを吟味する余裕が生まれる。
将来自分の身にふりかかるかもしれない災難のうち、最悪のものを書き出してみよう。
それから書き出した項目を一つずつ心に思い描き、〈今、この瞬間〉それがどのように感じられるかを見てみる。
こうしてその影響力を失わせるのだ。
この方法は、皆さんと学んできた、ユング心理学を母体に生み出された、アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学のワークに他ならない。

〈今、この瞬間〉とは、禅の曹洞宗の開祖、道元禅師のいう「而今(にこん)」と同じ意味であり、写真にたとえれば、“この瞬間に世界を写しとる”ことだ。

 〈今、この瞬間〉を意識し続けていると、自分の思考が怖れを生み出していることに気づくだろう。

時間と変化

 時間と変化は相関関係にある。
私たちは時間の経過を何かが変化したかによって測るし、変化を時間の単位で測る。
多くの老人にとって、将来への不安は変化への不安と同じことだ。
自我としての私たちは、これまでの世界を手放すことに抵抗する。
自我がコントロールできるものしか安心できないので、ほとんどの変化を脅威とみなすのだ。
しかしまさにこの点において、意識的に老いる人は、変化に対する不安を捨て去ることができる。
なぜなら、魂は自我と同じような意味では変化しないからだ。

 魂は自我と同じ方法で時間をはからない。
魂の時間は生まれ変わりを単位としている。
魂にとっては、一つの生まれ変わりの人生が一時間、もしくは一分のようなものだ。
自我が地球の時間枠で動くように、魂は魂の時間枠に存在する。
魂は終わりのない永遠の時間を基準として思考する。

 二つの時間の観点から常にものごとを見られるようになると、心が静まって、変化の荒波を受け入れ、同時に一息つく余裕が生まれる。
現状のままでどこも変わってほしくないという自我の執着心から解放されて、それぞれの瞬間に永遠に存在するものを知るようになると、変化に対して恐怖心を抱く代わりに好奇心を抱くようになる。

 こうした知恵をわかりやすく説明するために私がよく使う昔話がある。

~『中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした』~

                               IMG_2177_R   (人間万事塞翁が馬 ・じんかんばんじさいおうがうま)

 ここで言いたいことは、どんな変化が人生に訪れるか、それがどんな影響を与えるかは誰にもわからないということだ。
先の記事で書いたように、無常の法則によると、苦しみを減らしたいのであれば、未知のものを素直に受け止め、できるだけ穏やかに変化を乗り切れるようになる必要がある。

 年齢をかさねるにつれて、コントロールできないものが増え(コントロールを失うのは自我だ)、若いころにはやったことがないような方法で未知なるものに身をまかせざるをえなくなるという現実がある。
60才を過ぎて以来、私はこのことを日々学ばなければならなかった。
私のような、ある種の頑迷さを持った人間にとっては非常に難しいやり方で、これまでのようなコントロールをあきらめねばならなかった。
だが、もう元に戻せないような変化に直面した時、それ以外にどんな方法があるというのだろうか。

 ものごとは「こうあるべき」というイメージへの執着を減らして、あるがままの状態に抵抗しないことを学ぶのが知恵というものだ。
それができるのは、〈今ここで、この一瞬一瞬の中〉で、目の前の変化に素直に心を開いて反応することを通してだけだ。

 老化に伴う変化で困ることの一つは、自分はこうだと思っている自己像と
現実との落差だ。
心の中で自分をどんなに若者のように感じているとしても、私の肉体はことあるごとにそれを否定する。
時には、何年か前に私が本屋で転んで靭帯(じんたい)を傷つけた時のように、苦痛や恥を伴って否定される。
だがここでもまた、一見どうしようもない問題の中に深い学びの種が見つかる。
年をとるにつれて、自分のイメージと現実が矛盾するような“認識不一致”の瞬間を体験する機会が増える。
こうした不一致は気持ちの良いものではないが、自分がどの部分に執着を持っているか、そしてどの部分に意識を向けるべきかをはっきりと見せてくれる窓だ。

 肉体的な苦痛が体の異常を教えてくれるのと同じように、精神的な苦痛は
自分がもっとも意識を向けるべき個所を教えてくれる。
別の言葉でいえば、私たちが感じるイライラや怒りのアイデンティティを魂のレベルに変えなさいと教えてくれる。

さらに、自分がどの部分で変化に抵抗しているのか、どの領域で時間にこだわっているのか、どの分野で古い概念を乗り越えて成長する必要があるのかを教えてくれる。

 

 

2015-01-23 | Posted in 魂のめざめNo Comments » 

 

魂のめざめ-2

 

~過去を手放す~

未処理の問題を、今の観点でみるIMG_6599_R

過去を手放す作業はなかなか難しい。
特に、自分の中できちんと処理できていない問題がある場合はなおさらだ。
これは意識的な生き方の矛盾ともいえるが、過去を全面的に受け入れないかぎり過去を手放すことはできない。
または、ある聖者の言葉に従えば「自分が祝福していないものを変えることはできない」。

私が思い出の品を手放そうとした時に発見したように、それぞれの品をまずよく見て、それにまつわる思い出に浸(ひた)ってからでないと、捨てることができない。
そうしないと、思い出の品を手放せなかった。

過去の出来事の詳細を何度も心の中で反芻(はんすう)して感傷に浸るのと、現在の意識を使ってそれを“体験”することのあいだには大きな違いがある。
何年か前の話だが、京都の宇治を訪ねた時、私は宇治川の紅い橋の上から、川が思いのほか水量が多いことと、その早い流れに驚きながらも、川面を木の葉が流れていくのをしばらく眺めていた。
まるで運命の川に翻弄(ほんろう)されながら流れていくようにも見える木の葉に投影して、私の心に浮かぶ考え(思い出)を同じように眺める練習をしてみた。
そこには兄の死があり、兄を追うようにして亡くなった母の面影があり、経営していた会社の倒産時の想い出があり、それらのイメージが次から次へと流れてくる木の葉に重なって見えた。

その結果、いくつかのことを現在の目を通して見るようになった。
例えば、会社が倒産したことは、社長という役割をそれまでの私の自我から奪い去ることになった。
その時、こうした出来事を結びつける運命的な流れが見えてきて、無一文から会社を立ち上げ、倒産するまでの過程が理解できた。
社長という役割を失ったおかげで、自分の内なる声を信頼できるようになった。
自我の問題が魂の問題に変わったのだ。
経営者というアイデンティティを自我からはぎ取られたとき、わたしの独創性が開花した。
独創性は魂から生まれる。
役割に縛られている時には、真に自由な思考はできないことに気づいた。

過去を現在に迎え入れることによって、私たちの心は選択不在とでもいうような境地に入ることができる。
そこでは過去の体験が浮かんでは去っていく。
それにしがみつくこともなければ、よいとか悪いとか判断することもない。
これを実践すると、記憶は中和され、人生の背景の一部となる。
過去への執着心が消えて、人は以前よりも、自由に生きていることをイキイキと感じるようになる。

こうした”賢明なる距離“を置かないと、過去の辛い体験を思い出したり、”選ばなかった道“に対する深い後悔の念が起きたりした時、憤りや自己憐憫(じこれんびん)を感じてしまうようになるだろう。
言い換えると、過去の出来事に現在の光を当て、そうやって過去を現在に呼び入れる、ということだ。
意識の力を利用してそのような見方をすると、過去の〈くびき〉から解放され、古い執着心が離れていくのが分かる。

過去を現在の目で見直してみると、いかに自分の考えや感情が過去の時点で凍結していたかを発見する。
年を経るにつれて私たちは多くの面で変わったかもしれないが、過去の出来事の解釈やそれから受けた心理的な影響は当時のままだ。
これでは自分が分断されているような気がするのも不思議ではない。
私たちは過去の思い出や感情を魂の観点から再体験する必要がある。

私たちは自分が魂の観点から見ることができた瞬間をおぼえているものだ。
完全に目覚めていた瞬間の思い出はほかの思い出とはどこか違うという印象がある。
そうした思い出は私たちの本質を見せてくれる鏡の役割を果たす。

子供のころに垣間見た遥か彼方の雑木林に巨大な夕陽が落ちるのを見たとき、大地に溶ける紅い太陽が雑木林の彼方から無数の赤とんぼを生み出して、冷気を含んだ風と共に流れてきた。

私は田んぼの真ん中に立ちすくみながら、“こうして秋がやって来る”のだと、自分の中から声がしたことを今でも鮮やかに体感できる。

年をとってくると、私たちは幼児期の体験にもっと親近感を覚えるようになる。
昔を振り返る時間が増えて、私たちの心は大胆にも乳幼児期やその時期に受けた心の傷へと向かっていく。
これは心の大掃除をしたり、初期の心の傷を現在の知恵で見直したりする絶好のチャンスとなる。

そこで意識的に老いる(成熟する)方法には、過去を現在の目を通して見直し、現在の自分の本質に目覚めることが含まれる。
ある特定の体験が何度も心に浮かぶようであれば、瞑想するときに、それについて考えるようにするとよい。
瞑想の主眼として呼吸を使う代わりに、その思い出に関連する考えや感覚を追ってみる。
その時、自分が現在いる場所を忘れないように気をつけながらやる。
呼吸は、過去にのめり込まずに観察するための背景道具として使う。

失恋を例にとろう。
ほとんどの人は好きな人から拒絶された経験が一つか二つはあるだろう。
私にもとても辛い失恋の思い出がある。
だが、魂はそうした歴史的な出来事をどのように見るのだろうか。
自我は自分を“捨てられた者”“傷つけられた側”とみなし、失恋をそのように解釈するが、魂はそれとは逆にもっと大きな流れの中でとらえる。
辛い体験を魂の観点から振り返ると“失った”と思ったことが、実は幸せな結果につながったことが分かるかもしれない。
自我にとっての“失敗”の一つ一つが今日の自分を築き上げる力になっている。
甘ったるい言い方をするつもりはないが、私たちが学ぶ過程で踏む一歩一歩が、魂の観点からいえば、恵みである。
これは自我の容赦のない悪評や私たちが一生抱き続ける恨みなどといかに違うことか。

ブラジルの詩人マシャド・デ・アシスの美しい詩にこの点を完璧に歌った節がある。

『 昨夜、眠っているあいだに、私は夢を見た。 ああ、かの素晴らしい過ちよ。

  心の中に蜂の巣があって、 黄金の蜂たちが私の失敗から 白い巣と甘い蜂蜜を作っていた。 』

黄金の蜂は魂の力であり、体験を知恵に作り直している。

この過去の出来事に終止符を打つためのアプローチは、信じがたいかもしれないが、虐待体験にも応用できる。
私はここで虐待の苦しみを軽視するつもりは毛頭ない。
ただ、過去のそうした苦しみに現在の知恵の光を当てて、その体験の〈くびき〉から自由になることを進めているにすぎない。
自我の枠外に出ることができれば、これまでひとときも忘れられなかった虐待体験を自分と同一視しなくなり、自分の心の傷に固執しなくなる。
私たちは自分のアイデンティティの糸口として虐待や怒りにしがみついたり、過去を忘れないためにしがみついたりする傾向がある。
そして、メロドラマの主人公になって、自分の存在理由を証明したり意味づけをしたりするために過去の出来事を利用する。
人生ドラマの筋書きに魅了されてしまって、過去の牢獄に自分で自分を閉じ込めてしまう。

このことを自分の意識の観点から見るとどうだろう。
いつまでも恨みを抱いて相手を許そうとしない人は、過去の苦しみから逃れられない。
虐待行為がいったん終わってしまえば、虐待に対する執着が苦しみを生み出す。
言い換えると、自分の心が自分の苦しみを永続させるのだ。

残念ながら多くの人々がこのことに気づいていない。
過去に受けた不当な扱いの思い出に今でも煮えたぎる思いをし、それに多くの時間を費やしている不幸な人に私は何人も出会った。
自分が受けた不当な仕打ちを数え上げ、恨みの斧をとぐのがほとんど趣味のようになってしまっている。

私が出会ったある老婦人は、病院のベッドで残りの人生を終えようとしていた。
すでに亡くなったご主人から受けた屈辱の日々を思い返しては、「絶対に夫を許さない」と私に吐き捨てるように言った。
戦前の高等師範学校を卒業して長らく教職の身にあった老婦人は、夫が花街で罹患(りかん)した梅毒をうつされてしまった。
婿養子の夫は、老婦人の父が亡くなると毎晩のように遊び歩いて、受け継いだ資産を食いつぶしてしまった。
「絶対に許すもんですか。私が生きている限りは許さない」とその老婦人は痛風に痛む手を握り締めて、自分が正しいというふうに叫んだ。
私は老婦人の態度が無益で悲痛なことを思って胸が痛んだ。

老婦人の態度は自分自身をひどく傷つけている。
そんな病床での態度に耐えられず、娘さん三人が私に相談してきた。
やがて寿命が尽きようとする時になっても、毎日毎日、死んでしまった父への憎しみをベッドで叫びながら、人生が失敗に終わってしまったと嘆く母の姿を正視できないという。
老婦人は初めて病室に訪れた私に、小一時間あまりにわたって、自分がいかに屈辱的な人生を夫の身勝手な行為によってもたらせられたのかを縷々語った。
老婦人の話は極めて理路整然として彼女本来の知性の高さを感じさせるものであったが、理詰めで私に同意を求めながら自分自身を追い詰めていく姿が私の息まで詰めそうな勢いだ。

老婦人の話が一段落した頃合いに、私はある提案をした。
「娘さんから私の不思議な力の話を聞いていますか?それなら話は早い。私があなたの苦しみの思い出をすべて消してあげます。」
老婦人はちょっと怪訝な顔をしてから、やがて微笑んで「ぜひそうしてください」と私を見つめた。
「簡単に嫌な思い出は消えます。ほんの一瞬です。あなたが本当にそれを望むなら、ここでできます。ただ、ちょっと気がかりなことがあります」と私がそう言うと老婦人は「なにが気がかりなのかしら?」と訊ねた。
「気がかりなのは、ここであなたのご主人に対する恨みや思い出をすべて消してしまうと、あなたはこれから先、何にしがみついて生きるのでしょうか?」私の問い掛けを聞いて、彼女は一瞬目を宙に泳がせてから静かに私の目を見つめた。
やがて、大粒の涙を流しながら私に感謝の言葉を述べて、「夫も養子の身が辛かったんですね」とつぶやくようにそういった。

(自我を擬人化すれば)自我は苦痛を栄養にして生き続けようとする。
楽しかった思い出よりも、自分を傷つけた辛く悲しい思い出を幾度も蘇らせて、生きる糧にしようとはかる。
もうすぐ人生を終えようとする老婦人の心を過去の苦しみで満たしながら、亡夫への恨みの日々を屈辱とともに想起させて責めさいなみ、分泌される“苦痛”を食べている。

聡明な老婦人が気づいたように、人を責めることは自分自身を苛(さいな)むことにちがいなく、人を許すことが自分をありのままに受け入れて許すことにちがいない。

死んだ人とのあいだで未解決の問題がある場合は、慈悲と許しを自分の心にはぐくむようにして、その問題を手放す道を探すことだ。
嫌な思い出は身体や心を緊張させる。
そのときに、過去の問題が現在の心身をどのように拘束していくのか、その様子に注意を払おう。
それから一瞬一瞬、少しずつ、心を和らげる努力をする。
起きたことを否定する必要はないし、それをどんな形であれ、合理化したり正当化したりする必要はない。
また現在の気持ちを否定する必要もない。
むしろここでの目的は、それを全面的に認めることによって、苦痛を和らげることにある。

全面的に注意を払うようになると、恨みはちょっとでも抵抗があると勢いを増すことを発見する。
相手を許すことができないとしたら、たぶん、自分がそうしたくないからだ。
その場合は、人を許す儀式をやってみるのもよいだろう。
自分に不当な仕打ちをした人に手紙を書いたり、写真を使って瞑想したり、“敵”が苦しみと無知に悩む魂だと想像してみたりするのだ。

〈今この瞬間〉に深く意識を向ける力を磨くに従って、この瞬間のパワーのほうが過去の思い出よりも強くなる。
自分の意識が自我の外に出て、はるかに広大な空間に移動するにつれて、今この瞬間はますます強烈に豊かに満ち足りたものになる。

まだ生きている人とのあいだに未解決の問題がある場合は、その人と直接会うことをぜひすすめる。
私はこれまで多くの人との関係を改善してきたが、それはただその人たちとじっと向き合ってすわり、二人のあいだに何か新しいものが生まれる可能性に心を開いたからだ。
攻撃的になったり「どうしても話さなければならないことがあるんだ」などと言って最後通牒(さいごつうちょう)を突き付けたりする必要はない。
ただ一緒にいることによって、その人がどんな人だったか、あなたにどんなことをしたかという思い出やイメージを含めた過去の関係が現在の瞬間にもたらされる。

過去に現在を触れさせることによって、過去の不満や恨みが少しずつ解け始める。
そうした和解の結果、どれだけ身も心も軽くなるかに人は驚く。
それは逆にいえば、不満や恨みを抱き続けるためにそれだけのエネルギーを使っていたということだ。

 

2015-01-20 | Posted in 魂のめざめNo Comments » 

 

魂のめざめ-1

これから『魂のめざめ』と題したコーナーで、「今・この瞬間・ここに生きる」ことを、私流儀にひも解いていこう。

私たちが過去や未来にすっかり気を取られているために、いかに現在の瞬間に注意を払わず、そのために喜びや目覚めた意識が味わえなくなっていることを検討しよう。
さらに、意識的に老いることを通して意識の目覚めに到達する方法や、時間の流れの中で自分のバランスを保っていく方法についても考えたい。
そして最後に、人生の変化について語りたい。

無常の法則

キリストの生まれる約五百年前、シャーキャムニ・ブッダはインドのブッダガヤの菩提樹の下にすわって悟りを開いた。
あらゆる現象界の出来事は、いずれ消え去るという教義を説いたのだが、その教えは“無常”と呼ばれ、仏教のなかでも基本となる教えだ。

 昔の仏教修行者たちは風葬場で修業した。
そこでは死体が野ざらしにされて鳥獣に食い荒らされる。
修行僧はそこに一晩中座って、死体の腐敗段階の一つ一つについて瞑想する。
ぶよぶよと膨らんだ死体が骸骨となり、すべてが失われて骨の粉が残るだけになる過程について瞑想する。
この瞑想を通して、僧侶は肉体の無常を完全に納得するだけでなく、あらゆる物質の“無常”を悟り、物質界への執着を捨てることができた。
そして、精神や肉体を魂の次元から観察することを学んだ。
この瞬間に完全に意識を向け、静かで動じない地点から激しい変化の流れを観察することを学んで、僧侶たちは深い洞察を得た。

 肉体への執着を捨て、さらに物質界のあらゆる変化へのこだわりを捨てることができると、僧侶たちは自由の境地をかいま見ることができた。
彼らの意識がその扉を通って先に進むと、時の経過に関連して味わう苦しみが存在しない境地に出会う。
 このような“墓場の瞑想”は現代では不可能だが、私はかつて集中的な瞑想と、病気で死にゆく年若い人たちとの関わり合いの中で、“無常”の事実に目覚め、私たちがどのようにして“無常”を避けようとするかにも気づかされた。

 “無常”を知ったことで私のなかに大きな不安が生まれた。
私が立とうとしている場所がいかに危ういかということが分かったからだ。
私の自我は、真理を前にしてしり込みした。
自我は自分が独立した堅固な存在だという幻想を信じているので、自分がほかの物すべてと同じく、“無常”だという歴然たる証拠を認めようとはしなかった。

 そこで私が思い出したのは十九世紀の英国詩人、シェリーの『オジマンディアス』という詩だ。それは砂漠で発見された巨大な遺跡について語る。
遺跡の近くで発見された石には次のような言葉が刻まれていた。

〈 我は王の中の王、オジマンディアスであるぞ。
強大なる者よ、わが建造物を見よ。そして絶望せよ 〉

しかし、詩はこう続く。

〈 しかしその横に残るものは何もない・・・どこまでも人気のない砂漠が果てしなく広がるだけだ 〉

自我は自分の永遠性を信じて、自ら作り上げた王国の王様然としているが、
誰も避けられない変化に根底から崩される。

私は最近患った急性中耳炎のおかげで時間に対して少しユニークな見方ができるようになった。
以前の私は、今、何時何分かまで当てることができたが、今では外の雪を見て季節が冬であることを目前に実感するまで季節感が戻って来なくなったし、みくら会の開催日を中心に活動しているので、その日以外の日にちや曜日を忘れることがしょっちゅうだ。
六十才を過ぎてからは記憶力も衰えたので、私は今この瞬間に生きることを余儀なくされ、たまにさっき何を食べたかさえ忘れる時がある。
時には困ったりもするが、プラスの面をみると、おかげで自分がみなさんにすすめている精神修養の道を自ら歩かざるをえなくなった。
昔のように過去や未来に縛られることが少なくなって、じつに素晴らしい解放感にひたることがある。

 こうした理由から、病気や老化現象には精神的な成長を促す絶好の機会が隠れているといえる。
若いころのようには活発に動けないのでじっとしている時間が長くなり、生活のペースが落ち、今ここにあるものに意識が向かう。
昔のような記憶力や活動性を取り戻したいとも思うが、現在の限られた頭脳力から生まれる有利性も理解できるので、それを利用して、今にできるだけ意識を向けることにしている。

自分の呼吸を観察するという瞑想の手段を使えば、意識を現在の瞬間に向けられるようになり、自ら仕掛けた時間のわなから自分を解き放つことができる。
意識を完全に今の瞬間に向ければ、過去に起きたことを悩んだり未来に起きるかもしれないことを心配したりしなくなる。
今この瞬間に深く入っていくと、“自分”が消え去る。
少なくともこれまで自分が感じてきたような形での確固とした“自分”のイメージは消え去る。
現在の瞬間に入り込んで完全な自由を味わうと、まわりのものすべてー降り積もった雪、クラクションを鳴らす車、通りすぎる人たちなどーに恍惚となる。
あらゆるものと自分がつながっていることが実感できて、こうしたものすべてが、その瞬間、魂への神秘的な扉となる。

そうした状態の中では、過去や未来を煩うことはできない。
“自分”のことで悩むこともできない。
まわりから切り離された“自分”というものが存在しなくなるわけだから・・。
その瞬間、私たちは自我の欲望から解放され、魂に心を開く。
自我の拘束を破り、「自我のメロドラマ」を中断する。
 

過去を捨て、未来を忘れる

次に紹介するのはチベット仏教にある言葉だが、時間や変化を新しい目で見る練習に役立つと思う。

過去を引きずるな。

未来を引き寄せるな。

生来の目覚めを変えるな。

見かけを恐れるな。

すべては見かけだ。

年をとるにつれて、ついつい過去にこだわりたくなる。
毎日することが減り未来に期待することも減ってくると、過去の想い出にひたったり、くよくよしたりする。
過去の出来事を一つ一つ思い出しては懐かしがって見たり、後悔したり怒ったり寂しくなったり悲しくなったりして、現在の生活を過去の荷物や記憶で彩る。

 これは理解できることだが、思い出にひたることがその人にとって心理的な障害や重荷になった時、それに気づくことが大切だ。
また、過去の自分の姿に、どの程度しがみついているかにも気づくことが重要だ。
自分の過去にとらわれている人は、現在に生きることができない。
それに、結局のところ、過去と妄想にどんな違いがあるというのだろうか。

自分の過去を手放すことは過去を否定することではない。
過去の色眼鏡を通して現在を見ることをしないという意味だ。
例えば、私は自分のことを「小さな会社の創業者で、ボランティアで息苦しく生きている人たち(精神疾患者)と関わっています」と人に言ってきた。
それが私の過去だ。
しかし現在の私はその過去を語る人間だ。
経営する会社もなくなり、昔のように高級外車に乗ることもない。
そうした自分の姿にしがみつこうとすると、苦しみが生まれる。
今でもその時の話をすることはできるが、自分が社長と呼ばれていた時の人間にならずに話をしなければならない。

 私がしたことは当時の自分にはワクワクすることだったが、現在の私はそうした興奮は感じない。
その過去はもう手放した。
過去を意識の表面まで持ってきて、現在の目で見ることができる。
ドキドキワクワクする思い出がたくさんあるかもしれないが、それを現在の自分の意識まで持ってきて、こだわりや執着を捨てなければならない。

一つ一つの出来事に新鮮な気持ちで接し、“初心”を持って生きる努力を意識しないかぎり、過去の年月の集大成がおもり付の鎖となって私たちを縛る。

 例を挙げて話そう。
私はこれまでに何度か引っ越したが、過去の所持品をいつまでも引きずり歩く私の性癖は今もあらたまってはいない。
心は放浪者のごとくといいながら、思い出の品々をたくさん抱えている。
人が捨てた破れ鍋を拾って托鉢し食べ物や水の容器とした仏陀の教えに深く共感しながら、品物を箱に詰めたままラベルを張り、テープで閉じたまま棚の奥に収納している。
そしてまた引っ越す時が来たら、山のような書籍と思い出が詰まった箱を棚から降ろして引っ越しトラックに積み、次の住みかまで運んでいく。

「いったいなぜこんなことをやっているのだろう?何のためにこんなにいっぱい貯めているのだろう?」

 そこで気づいたのは、後で必要になるかもしれないという幻想のせいで貯め込んでいるということだった。
その時はどれも必要なかったのだが、いつか将来きっと必要になると思い込んでいた。
その時点での自分の生活は楽しいものだったが、やがて退屈な人生がやってくるだろうと心底信じていた。
現在の自分はすることがたくさんあって忙しいが、もう一度読み直したい小説や、昭和の故郷の写真が役に立つ時が必ず来るに違いない。
いつか将来、自分がどんな人生を送ったかを思い出すために箱の中身が必要になるだろうと思っていた。

 こうしたことがいかに馬鹿げたことかを、ある日突然悟ったのだ。
私は棚の奥から箱を下し、もう二度と読むことも無い本をゴミ箱のところに運んで行った。
最初、自分が正しく賢明なことをしていると感じた。
私を縛る底荷から解放されて身軽になったので、滑るように帆走できると思った。

ところがその夜、私はゴミ箱をあさって、どうしても捨てきれない写真や、
本を探しまわった。
「あの人の顔はもう二度と見られないかもしれない。あの本は今では絶版になっているかも知れない」と思いながら、夜の暗がりの中を必死で探した。
けれども、これでは自分がしたことの本来の目的を台無しにしているということにハタと気づいた。ゴミ箱に捨てるだけではまた取り返すかもしれない。
まだ使えるモノや本は人に差し上げよう。

 それから十年余り経った現在、私の部屋には箱詰めされた“思い出”や“
いつか役に立つかもしれない”品々で一杯になった。

 私は何も過去を捨てろとか忘れてしまえと言うつもりはない。
自分が昔どんな人間だったかを楽しく思い出したからといって、何も悪いことはない。

 ただ過去の自分と同一化するあまり現在の自分がなくなったり、今はなき昔の姿に執着して、それを失ったことを嘆き悲しんだりしないかぎり、何も悪いことはない。

けれども気をつけなければならないのは、人を笑わせたり人の同情を買うために過去の話を持ち出す癖だ。
例えば、私は昔、しょっちゅうニューヨークやミラノに出かけていた。
そこで見た壮麗なカテドラルや現代美術の作品を語ることがあるが、9.11後のニューヨークで遭遇した黒人やプエルトリコの若者との武勇伝にも似たやり取りや、マンハッタンで出会った不思議な漢字文字をタトゥーにしたアメリカの若者との会話を面白おかしく人に話すことがある。
深夜のミラノ市内を徘徊し、観光客を守るパトカーにホテルまで送られた話など、枚挙にいとまがない。
話し出すと、ひとつの面白い事実に気づく。
自分が別の人間になってしまう気がするのだ。
現在の私ではなくて、無鉄砲な人間になった気がするのだ。
私の自我にとっては、それはそれで楽しいことなのだが、そうすると自分は過去のアイデンティティにとらわれてしまい、本当の自分とは少し違うような気がする。

 老化のプロセスにもっと意識を向けるようになる過程において、昔の自分と現在の自分との中間点に引っかかって、まるで詐欺師のような気分がする時が出てくるので、それに注意を払うとよい。
老いていく自分を快く受け入れ、過去の記憶そのものになるのではなく、記憶の保持者になるにつれて、私たちはもっとイキイキと生きられるようになるだろう。

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2015-01-19 | Posted in 魂のめざめNo Comments » 

 

妄想奇譚-4

Some of these days(いつか近いうちに)

まずは、ジャン・ポール・サルトルなる人物の思想(実存主義哲学)を簡単に述べておこう。わたしのように60才を過ぎた年齢の者にとって、実存主義という言葉と、サルトルやその生涯の伴侶ともいえるボーボワール女史の名前は、青春時代に一度ならず耳にしたことがあるはずだ。わたしより幾ばくか上の世代の知的好奇心が旺盛な学生にとっては、サルトルはまるで神のように崇められたし、実存主義ファッションなる現象も世間に流布したくらいである。しかし、現在ではサルトルも実存主義哲学も関心を引くことがない。このブログでサルトルの小説「嘔吐(おうと)」(正しい訳語は、”吐き気”なのだが)を取り上げるにあたって、現代の若者にもサルトルの思想の一端を紹介しておかねば、と、思ったのだ。

サルトルは実存主義という思想を唱え、自由の意味を追求したフランスの哲学者・小説家だ。彼の「実存は本質に先立つ」という言葉は、つとに有名である。実存が本質に先立つ人間は、何ものによっても決定されず、どんなことでも許されていると考えた。しかし、同時に、自由であるという事は己の行為についての一切の責任が自分にあるという事でもある。サルトルは人間の自由を主張しながら、同時に「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。

言いかえれば、人間は自由であるがゆえに不安から逃れることができない存在でもあるのだ。

人間は自由であるよりも、むしろ自由にしか存在することができない、というのだ。人間は、自由であることの不安を軽くするために、決まりごとを沢山作り、それらがまるで当然のことのように素知らぬ顔をしてふるまうことができる。さらには、自らの判断と責任においてルールを選択もする。そのような営為のすべてが、その人そのものであり、自らを創るということだとサルトルは考えた。また人間は、自分の人生や行動に何かの意味があると思い、至高の瞬間を求めて生きているのだが、しかし、もともとそんなものは“無い”のだ。

存在そのものに意味がなく、偶然の産物でしかない。そして人間は、この無意味で偶然的な実存から決して逃れられない。何をしても無意味なのに、何かをしなくてはならない。サルトルの実存主義哲学の凄さは、それを知った上で、「アンガージュマン」(engagement)を唱えたことにある。 

アンガージュマンとは、積極的関わりを意味する言葉だが、自分に課せられた状況を立ちはだかる壁と感じて立ち止まるのではなく、むしろその状況に積極的に関わりを持って、乗り越えていく態度のことを指している。

~む、「妄想奇譚」が、とんでもない方向に横滑りし始めたなぁ~(笑)。いつものように近くのミスドでタバコをくゆらせながら、英語版の村上春樹の小説を読んでいたら、斜め前のテーブルに座った二人のご婦人の会話がわたしの空気頭にヘリウムガスのように充満して、首から上がフウセンのようにフワフワと舞い上がり始めたのだ。紫色のカーディガンを羽織ったご婦人の「吐き気がするわ」という言葉がきっかけになって、妄想風船がジャン・ポール・サルトルの小説「嘔吐」へと横滑りしたのだ。40年以上も前に読みふけった哲学書の概説を還暦を過ぎて、おぼろげな記憶で語ろうなんて、世も末に違いない。サルトルや実存主義に興味を持たれた方がいたら、いきなり哲学書に挑戦するのではなく、先のブログで紹介したカミュの小説「異邦人」を先ずは読んでください。そのうえで、サルトルの「嘔吐」を読んでから、実存主義哲学の入門書を紐解いていただきたい。

小説「嘔吐」の主人公は30歳で独身の旅行家兼歴史研究者、アントワーヌ・ロカンタンという赤毛の男だ。歴史学者と言ってもロ

150116_1610ルボンという策謀にたけた外交官兼政治家の生涯を探りだす仕事にたずさわっている文学的な歴史家である。ロカンタンは、ホテルで一人暮らしをしているが、物語は彼の日記形式で綴られていく。
ある日、ロカンタンは自分の中で起こっている異変に気づき始める。海岸で何げなく拾った小石や、カフェの給仕のサスペンダーを見て吐き気がしたり、ついには自分の手を見ても吐き気がするようになってしまうのだ。そして、公園のベンチに座って目の前のマロニエの木の根を見た時、激しい吐き気に襲われ、それが、“ものがそこにあるということ”自体が引き起こすものだと気がつく。

つまり、この吐き気は“実存に対する反応”だったのだ。(実存とは、独自な存在者として自己の存在に関心をもちつつ存在する人間の主体的なあり方を指す)やがて、ロカンタンは、思考と言葉が乖離(かいり)して、支離滅裂な状態を繰り返し、意識が朦朧としていく。そして彼は、物がただ物として、自分がただ自分として存在しているにすぎないと悟ったのだ。誰の意識の中にもロカンタンなどという人物は存在しないという事を初めて、認識したのだ。こうしてロカンタンは、実存(自覚的存在)が、単なる抽象的な概念に過ぎないと気づいた時から永遠に反復される“吐き気”に苛まれるようになったのだ。 現実の感覚が薄れて混乱することで、実存の上に意味を与えられた物が、ある時を境にして、まったく別の物になったような違和感を覚え、“吐き気”をもよおして、ロカンタンの日常生活が崩壊したのだ。

小説、「嘔吐」で登場するシーンで有名なのはなんといっても「マロニエの木(栗の木)」だが、もう一つ、主人公がカフェで「Some of these days」という実在するジャズの曲のレコードを聴くシーンも、印象深い。

私はウェイトレスを呼ぶ。「マドレーヌ、お願いだからレコードで、一曲かけてくれないか。ぼくの好きなやつを。ほら、Some of these days(いつか近いうちに)だよ」

  Some of these days You’ll miss me honey (いつか近いうちに、いとしい人よ私の不在を寂しく思うでしょう)

 いったい何が起こったのか。〈吐き気〉が消えたのだ。 

(「嘔吐」 鈴木道彦訳、人文書院より引用)

 

 

2015-01-18 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments » 

 

「妄想奇譚」-3

「あの女には常識がないの、とんでもない非常識な人よ・・・」

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薄い紫色のカーディガンを羽織った中年のご婦人がそう言うと、テーブルの向い側に座った紅いフレームメガネの友人らしきご婦人が、タバコに火をつけながらため息を漏らすように相槌を打ちました。

「年代で言えば、私達の娘世代ね。物腰も柔らかいし、おまけに、とびきりの美人だわ・・・」紅いメガネのご婦人がそう言うと、「ねえ、あなた、あの女はなんのためらいもなく私に頼み事をしてきたのよ。非常識の範囲を超えていると思わない」紫のカーディガンの女性がそう言うと、「もちろんよ、信じられないぐらい非常識な娘よ。美人だからって話は別よ」紅いメガネの女が言いました。「あの女のことを思い出すたびに、わたし、吐き気をもよおすの」

 

え?吐き気ねえ~ご婦人方の娘の年だというのなら、たぶん30代前、それとも20代半ば? 二人の会話がわたしの耳朶に絡んで、やがて、まるで丸いドーナツが車輪のように立ったまま、耳の奥に通じる螺旋階段に回転しながら落ちて行きました。~とびきりの美人で物腰が柔らかい、そして非常識な頼みごと?紫のご婦人が吐き気をもよおすほどの嫌悪感?~謎は深まるばかりだ。いったん、謎を掛けられてしまうとなかなかめんどうだ。すぐれた小説は読者に謎をかけて読了させる。金沢21世紀美術館も各展示物に芸術性はないが、内容の無さを“謎かけ”で魅了する。謎が謎を呼んで、わけのわからないままに現代アートを理解しようと人々が世評に釣られて館内を徘徊するのだが、プールの底から見上げる景色にパースペクティブの転換を求められても、実は困惑するばかり。しかし、金沢21世紀美術館で、わたしは吐き気を覚えたことがない~。う~む、物腰が柔らかい?とびきりの美人!非常識の範囲を超える頼み事って?なんだか、不条理な匂いがしてきたぞ。あ~不条理といえば、アルベール・カミューの小説「異邦人」、まてよ、そうだ!彼の友人の哲学者、サルトルだ。サルトルの小説「嘔吐(おうと)」だ。

 

「それで、旦那の身体は大丈夫なの?首が痛いとか、肩が張るとか、いろいろあるでしょう?」紅いメガネのご婦人が、メガネをちょっと鼻にずらし気味にして尋ねました。「なんともないわよ。大した事故じゃないし、もともと頑丈にできているから大丈夫」そう答えながら、紫のカーディガンのご婦人はドーナツをつまみました。「ねえ、旦那が被害者なの?それとも加害者かしら」紅いご婦人がそう言うと、紫のご婦人が「私が被害者よ。うちの人が信号待ちで停車していたんだけど、何を思ったのか、いきなりバックして、後ろにいたあの非常識女の車にぶつかったのよ。それを隠して夫は、~追突されたけど、相手が同じ会社の若い子でね~、なんて私に嘘をついて、挙句の果てにあの非常識な小娘が何を思ったのか私を訪ねてきて、あんな非常識なことを頼んできたのよ」「旦那が車を逆走させて前からオカマを掘ったのね!」紅いご婦人がそう言うと、紫のご婦人は笑いながら、「バカバカしい話でしょ。ギアを入れ間違えたのかなんだか知らないけど、バックして追突したのはうちの人。だから加害者よ」

 

話がずいぶんと入り組んできたようだ。二人の会話を漏れ聞けば聞くほど、わたしは謎をかけられ、湧き上がる妄想が気体化してヘリウムガスになり、私のゴム頭を充填し始めた。本当は事故の加害者の夫がすぐにバレる嘘を奥さんについて、自分は被害者だと話し、同じ会社のまれに見る若い美女が加害者だと説明した。奥さんは自分の旦那が加害者であることをすでに知っている、にもかかわらず、被害者の娘のような年代の女が何事かを奥さんに頼み込んで、そのことに奥さんは、吐き気をもよおすぐらいに憤り、友人らしき紅いフレームの友人らしきご婦人にその憤懣やるかたない気持ちを吐露している。

 

カミュの小説「異邦人」を要約すると次のようになる。

「アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーのもとに、母の死を知らせる電報が養老院から届く。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれアラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする」通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作だ。

 

わたしの妄想は、ヘリウムガスが充填されたばかりの風船のように膨らむばかりだ。生まれついての空気頭は今でも健在だった。還暦を過ぎても、一人娘に三人の孫が生まれても、日がな一日、ミスドでおかわり自由のコーヒを飲みながら、タバコをくわえて、英訳された村上春樹の小説を、電子辞書を片手に読みふけっている。もし、正しい老後の生活や、孫に好かれる老人のあり方が有ったとしても、わたしには随分と遠い世界の絵空事に見える。妄想が暴力のように連鎖して、さらなる妄想を掻き立てる。品の良さそうな二人のご婦人の会話が、(それまで女同士の会話は、宇宙の果てに住んでいる異星人のご挨拶にすぎないと遮断機を下ろして通りすぎるのを待つだけだった)なんの前触れもなく、わたしの耳から空気頭に飛び込んできたのだ。異邦人の主人公、ムルソーならぬわたしは、この不条理な気持ちを、実は楽しんでもいるのだ。

そうだ、ジャン・ポール・サルトルを忘れてはいけない。実存主義の騎手と目された彼の哲学は、今では評価が落ちた。そんなことはどうだっていい!彼の書いた小説「嘔吐」を読んだのは、今から四十数年前の高校生の時だった。三島由紀夫が割腹自殺する一年前のことだ。~妄想の連鎖が密教坊主の数珠のように無意味に連鎖して止まらない~

 

次回の「妄想奇譚」が、フランスの実存主義哲学者、サルトルの小説から始まることを予告して終了しよう。

2015-01-16 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments » 

 

妄想奇譚ー2

物語は、わたしが日課のようにして訪れていたミスドの喫煙室で突然に始まった。

いつものように、窓際の喫煙室に座り、タバコを吸いながらアメリカンコーヒーをゆっくりとすするように飲んでいたら、わたしの斜め前のテーブルに座った二人のご婦人の会話が、耳に飛び込んできたのだ。鼻でもなく、目でもなく、左耳に会話がストンと落ちてきた。わたしは、同年輩であろうご婦人の話に聞き耳など立てる趣味はない。むしろ、これまでの経験から言って、ご婦人方の会話を聞かないほうが良かった!と思うケースが多々あったので、これまでは、こころもち耳をふさぐように、あるいは自分の世界に没頭して、会話を遠ざけてきた。

しかし、その時のご婦人の会話が不意にわたしに落ちてきてしまったのだ。わたしは、いつものように村上春樹の短編集「象の消滅」の英訳バージョン「THE  ELEPHANT  Vanishes」を読もうとミスドにやってきたのだが、一服目の煙草が半分も吸い終わらないうちに、二人のご婦人の会話が、はじめはスルスルと耳に落ち始めて、やがてコーヒーをすするときには、ストンと落ちてゆくのを阻止できなかったのだ。まことに不覚としか言いようがない。

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短編集「THE  ELEPHANT  Vanishes(象の消滅)」の中でもわたしが好きな物語は、「四月のある晴れた朝に 100%の女の子に出会うことについて」というとても短いお話だ。

村上春樹の小説は、日常生活の延長線上にさまざまな椿事(ちんじ)がごくあたりまえに起きて、読み込むうちに、日常と非日常の境界線を知らないうちに踏み越えてしまう、あるいはその境界線がふいに消失してしまう世界に導いてゆく。読みながら、ときおり眼差しを意識的に何かに向けない限り、ごくあたりまえの周りの風景が異界の景色に見えてしまう、そんな世界かもしれない。

日本語で読んだ作品を英訳(英語)で読み直すと、それまで隠れていた通奏低音(つうそうていおん)が聞こえてくるときがある。わたしは日本語のネイティブなので、日本語の表記に対して、どうしても慣れ親しんだイメージが付きまとうので、物語を予定調和的に理解する傾向があることに気づいていた。もし作家が、新感覚派の川端康成や横光利一であれば、彼らの駆使する印象的な語り口に黙って酔えばよいのだが、村上春樹の作品はそうはいかない。ひとつの物語に重層的に物語が幾重にも違った糸で織りこまれているので、これまでの小説家とは次元が違う!のだと思っている。

短編「四月のある晴れた朝に 100%の女の子に出会うことについて」のタイトルは、英文では「On seeing the perfect girl one beautiful April morning」である。100%の女の子=the perfect girl と訳されている。物語の作者と英訳者、そして読み手のわたし。三位一体となれば、西洋錬金術よろしく物語の「変容」が化学反応のように起きるかもしれない。村上春樹の小説の舞台のように、読み手のわたしも「日常と非日常」あるいは、「現世と異界」をめぐる世界にさまよえるかも知れない。

昨日からの続きを読もうと、ページを目で追いかけた時に、紫色のカーディガンを羽織った女性と赤いふちの眼鏡を掛けた女性の会話が、まるでオムスビころりんの昔話のように、わたしの左耳にストーンと落ちてきたのだ。

 

2015-01-11 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments » 

 

妄想奇譚 その一

myself001このブログは、ようやく人生の帳が降りることを自覚し始めた独居老人の戯言(たわごと)である。

これから書き連ねていく物語は、常識や世間体に染まっている人には解読不能な出来事であり、それらのお話は、私の妄想によるでっち上げ!であり、決してノンフィクションとして捉えてはいけません。かといって、時として嘘から誠がほとばしるように、妄想奇譚(もうそうきたん)からリアルを超えた超リアルな世界が現出しないともかぎりません。このブログの読み手は、眉に唾をたっぷりとつけて、私の描く物語に呑み込まれないように、こころして読み進んでいただきたい。

私がわたしとして生まれたのは、今から11年前にさかのぼる。当時、50代初めの私に初孫が生まれたのだ。一人娘に孫娘が生まれたと聞いた時、私はいきなり現実がでんぐりかえって、世界が逆さ向きに、まるで雨どいを音を立てて落下する雨粒のように私めがけて落ち込んできたような感覚にとらわれた。

産院のベッドに眠る孫娘と初めて対面したとき、彼女は小さな手を握り締めたまま眠っていたのだが、横のベッドに眠る出産を終えたばかりの娘が寝返りを打つと同時に、孫娘の目が一瞬、パックリと開いた。その刹那、赤ん坊を覗き込む私が体外から離れて病室の天井付近に漂い始めたのだ。え~?いったい何が起きたんだ!。風船のようにフラフラと浮かびながら私が孫娘を見下ろすと、孫娘が〈うすらぼんやり〉とした眼差し〉で私を見ている。これまでの人生の途上で重ねた虚飾や、都合のいい自己像が、孫娘の〈うすらぼんやりとした眼差し〉によって、串刺しに射抜かれてしまったのだ.。その時以来、生まれたばかりの孫娘に、それまで後生大事にしてきた私のすべてが、グルリ~ンとひっくり返されてしまった。そこで、私は〈私〉を辞めて(それまでの私自身に辞表を提出して)、新たな〈わたし〉として生きなおすことになったのだ。生まれたばかりの赤ん坊にわたしが産み出されて以来、それまでの人生では見えなかった風景が垣間見えるようになったので、これまでよりはるかに楽しく毎日を送れるようになった。

いまでは、わたしは三人の孫のジジィである。そんなに遠くない日に、ところてんや寒天のように、ニュルっと〈孫の成長〉という突出し棒で押されて、人生を終えるだろう。金沢に住みながら、金沢市内に単身赴任?(十数年前の夜、タバコを買いに近所のコンビニに出かけて以来、自宅に戻っていない)したまま還暦を過ぎてしまった。「老人破産」というNHKの特別番組を見ているうちに、あ~わたしは「老人破たん」だなぁ~とひとりつぶやきながら、老人としての清く正しい!生き方ができない自分を笑った。

このような〈わたし〉でも、人様に誇れる才能がたった一つだけ有ると自負している。それは、果てしなく妄想を膨らませて物語をねつ造する能力だ。常識と非常識の境界線に揺らめき立ちながら、逆立ちして見える景色を色彩のある世界に塗り替える力技、メチエである。あの世とこの世を往還しながら、魂が紡ぎだす物語に誰よりも感応してじっと耳を澄ませることができる、聞く力だ。

次回から、始まる「妄想奇譚」に、ご期待ください、ね。

2015-01-09 | Posted in 金沢妄想奇譚No Comments »