魂のめざめ

魂のめざめー6

~ 死ぬ覚悟(その一) ~

魂は決して生まれない。 魂は決して死なない。

時間が存在したことは無い。 終わりもはじめも夢である。

誕生もなければ、死もなければ、変化もない。

魂は永遠に存在する。 死がそれに触れることは決してない。

        (インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』より引用)

 自分が単なる、肉体と精神以上のものであり、その両者を併せた自己像、つまり自我以上のものであることが理解できると、“死”を以前とはまったく違った目で見るようになる。
たとえ恐ろしい考えや不安な気持ちが起きても、以前ほどそれらを恐れなくなる。
自我の枠から一歩外に出て魂の意識に入れるようになると、自分というものが思考や感情以上のものであり、それらを体験する精神以上のものであることを悟る。
私たちは魂でもあるので、魂として死の神秘を見つめると、以前ほどの不安や恐怖は感じない。

 私はものごとを過度に単純化するつもりはないし、自分が死に対して何の不安もない境地に達したというつもりもない。
ただ、これまで何度も死にゆく人々に関わるボランティアをしてきた経験からはっきりと言えることは、世間で当たり前とされているような死の恐怖や苦しみを味わうことなく死を迎えることが可能だということだ。

 自分の死の瞬間を迎える心の準備を意識的に行い、死の準備を助けてくれる人々に支えられ、愛の心に満たされて最後の日々を過ごすことは可能だ。
人間とは何かという定義を拡大したうえで、死の瞬間に素直に向き合い、その後に起こることを受け入れる準備をすることができる。

死を隠さない

 ホスピス運動の創始者である英国の女医シシリー・ソンダース、“死ぬ瞬間”の研究で有名な精神分析医エリザベス・キューブラ―ロス博士、などがパイオニア的な仕事をしてきたにもかかわらず、私たちの社会では死はいまだに”悪者“であり、嫌がられ、人の目から隠され、生きている人間から物理的にも精神的にもできるだけ切り離すようにされている。いったいそれ以外に、物質的な社会が物質的な存在の死を醜態や失敗と見なくてすむ方法があるだろうかと言わんばかりである。

 死を否定するこうした態度のせいで、死の必然性を極端に恐れる脅迫症的な雰囲気が社会に生まれているが、同時にあらゆるタブーに共通するように、死に関する一種の魅惑も生まれている。
その良い例が、暴力に対する社会一般の執着であり、いじめによる自殺や、暴走車による犠牲者などという話題に対する社会の関心の強さである。

 私たちが抑圧しようとするものに共通することだが、死の恐怖は目に見えないところで社会に大きな影響を与えている。
私たちの社会は若さを志向し死を否定する陰で、実は、死を素直に受け入れる社会よりも死を病的に恐れている。

 私が育った昭和30年代には死はまだ街場の出来事であり、臨終とその儀礼も各家で行われていた。
もちろん、赤子が生まれる場所も日常生活が営まれる家の中であり、近所の助産婦が手伝いの女たちにテキパキと指示していた。
今のように、死も生も病院の中で管理される時代ではなかった。

 私が初めて死を間近に感じたのは、私が幼稚園児の時であった。
友達の家の前にある道路で遊んでいるうちに雨が降りだしたのだが、幼い私たちはボール遊びに夢中になっていた。
そんな様子を見ていたひとりの老婆が私たちに、雨が降ると道路に沿った用水路の水かさが増えるから危ないので家に入って遊ぶようにと、きわめて強い口調で注意した。
私と友人は家の中で一時間ばかり遊び、雨が止んだのを確かめて、また外の道路に出たのだが、用水のそばには警察官が数人いて、そこに置かれた筵(むしろ)を取り囲むように立っていた。
やがてカメラを持った男が現れると、警察官が筵をまくり上げ、水死体になった老婆の写真を撮った。
私と友人に、ついさっき「用水の水かさが増えると危ない」と言った老婆が、水に濡れたまま目を閉じて横たわっていたのだ。
幼い私は、まったく動かない老婆の状態が死であることをよく理解できなかった。
ほんのわずかな時間で何がどう変わったのか?
この疑問が解けないことには、大人になれない、とそう思った。

その日から私は、近所で臨終やお通夜があると遺族に紛れて部屋の隅からたった今死につつある人や、白い布をかけられた死者の顔を覗き込んだ。
小学生になっても誰かが死んだと聞くと、一目散に駆けつけていく私を父は強く諌(いさ)めた。
「おまえは死人の顔を見てもこわくないのか?」、もう二度と葬式に行ってはいけないと申し渡された。
 私が世間一般のいう死の概念を理解したのは、小学3年生の時だった。
ある日、街の大きな空き地に大きなテントが張られ、近所の子供たちと様子を見に行くとテントの中から金髪の美しい外人女性が現れた。
白雪姫のような真っ白な肌と、絵本でしか見たことのない金髪の若い女性を見て子供たちは興奮した。
彼女に手招きされてテントの中に入ると、祭壇らしき机の背後の壁に十字架がかけられていた。
アメリカ人の牧師一行がテントでキリスト教の布教活動を始めたのだ。
昭和30年代の子供たちには今のような遊び道具もなく、破れたズボンに継ぎはぎをしたままゴムの短靴を履いて空き地や田畑を駆け回っていた。
突然現れた大きなカーキ色のテントの中で、小さな聖書を読みながら、幻灯機によって映し出された天国と地獄の世界がリアルな臨場感を持って迫ってきた。
「人は死んでも違う世界で生きている。生きている時の行いによって天国か地獄に行く」というのは、本当だろうか?

 私が16才になったある日の深夜、これまで、みくら会で幾度も語ってきたように、“体外離脱体験”が突然に始まった。
その状態や内容についてここでは詳しくは触れないが、その時の体験で垣間見た
“まるで死後の世界かともみえる異界”での見聞が、それまでの私の“死”に対する概念を一変させた。
それ以来、死に対する私の態度は完全に変化し、それが私の人生に及ぼした影響ははかりしれない。
現在の私に死の恐怖がまったくないとは言わないが、正直に言えば、死が以前ほど怖くはないということだ。
心が平安で調子が良い日には、死と生はどちらもほぼ同じくらい魅力的に思えるときがある。

三つの疑問

 あらゆる宗教にそれぞれの形で死後の世界が存在するように、どの宗教も、死ぬ準備をすることが人生で最も重要な精神修養であるという点では意見が一致する。
自分の死と向き合う中で、私たちは自分に向かって次のように問いかけざるをえない。
「この肉体以上のものが存在するのだろうか?」、「もし存在するとしたら、それは何か?」、死が存在しなければ、私たちは無知のまま生きるよりほかにない。
死は魂を目覚めさせる役を果たし、避けようとしても避けられない要求を突き付けて、こころの成長を促す。

死の床にあるソクラテスが弟子から最後の教えを請われて、「死ぬ練習をせよ」と、言ったのは、まさにこういう理由からだ。死は私たちが癒される最後の段階で、私たちをさらに神に近づけてくれる。

六十才を超えた今に至るまで、幾人もの死に付き添ってきたわたしの経験からいうと、ほとんどの人が死に抱く疑問は基本的に次の三つだ。

一、これから死ぬというときにどうすればよいのか。

二、死ぬ瞬間に私はどうなるのか。

三、死んだ後、私はどうなるのか。

 死に自ら向き合っている人も、家族の死に直面している人も、死につつある人と職業上で接する人も、この三つの点に関心があるようだ。
死ぬプロセスには問題ないが、死そのものが嫌だという人もいれば、死んでしまうのはかまわないが、死ぬ過程が嫌だという人もいる。
これで思い出すのはアメリカの映画監督兼喜劇俳優のウッデイ・アレンの「死ぬのはかまわん。ただ死ぬときそこにいたくないだけさ」というセリフだ。そして最後に、死の瞬間そのものに対する恐れがある。
つまり都合の悪い場所や心理状態にあって、穏やかな死が迎えられないのではないかという恐れだ。

 弟子が禅僧に死後はどうなるのかと尋ねた話がある。

『禅僧は微笑んで「わしには分からん」と答えた。「なぜですか。あなたは禅僧ではありませんか」
「そうじゃ。じゃが、わしはまだ死んだ禅僧ではないんじゃ」』

 言い換えると、死そのものについてあれこれ考えることが必ずしも答えにはならないということだ。
しかし、重要な問いかけを始めることによって、心を開き深めるプロセスが始まる。
その結果、死と無常の意識を〈今の瞬間〉にもたらすことになり、それが私たちの人生に奇跡的な変化を生む
長年にわたって死につつある人たちと過ごせた幸運をありがたいと思っているし、おかげで自分自身の終わりを迎える心の準備もかなりできていると思うが、わたしはまだ結論には達していない。
人の死はどれ一つとして同じではないし、誰にも予測できないような不思議がそこにはあるからだ。

私の大好きなドイツの詩人、ライナー・マリア・リルケが詠んでいる。

 答え無き悩みに、汝、あせるなかれ。
問いそのものを愛せよ。
誰も与えることのできない答えを求めるなかれ。
なぜなら、汝はその答えを知って心穏やかではいられないからだ。
大事なことはすべてを生きることだ。
その問いを今生きよ。
さすれば、いずれ知らないうちにその答えを生きているだろう。

死んだらどうなるのか?

私たちは死んだらどうなるのか。
宗教経典や精神修業をした人たちが残した豊富な証拠の数々や、臨死体験をした人たちの体験談を見聞きして、肉体の死後も私たちの一部は存続すると信じるようになった人もいるだろう。
私は、16歳の時に「体外離脱体験」をゆうに百回をこえて体験し、死後の世界とみえる異界で様々な見聞をリアルに体感したので、死後の世界が在ると確信している。

 チベット仏教の老師であるカル・リンポチェは次のように語った。

「私たちは幻想の中で生きている。見かけだけの世界だ。しかし現実は存在する。私たちこそがその現実だ。
これが理解できた時、自分が無であり、無であることはすべてであることが分かる。それだけのことだ」

完全に目覚めた次元から発せられたそうした言葉は議論の余地がないように思えるが、それでも私たちは死後に自分が個人として存続するかどうかを知りたいと願う。

 この質問の答えは、自分を誰、いやむしろ何だと思うかによる。
物質主義的な世界観を信じて、自分は肉体と自我でしかないと思うなら、答えはほぼノーだ。
わたしは、この肉体の呼吸が停止した時に消滅するにちがいない。
しかし、自分の意識を拡大して魂や覚醒意識のレベルも自分の中に含めるなら、肉体組織は器にすぎず、仮の住居に過ぎないと理解できる。
自分が魂だと知っていれば、肉体や人格は消え去っても、死後も何かが確実に存続すると分かるだろう。

 今でもインド人はほとんど自宅で家族に囲まれて死ぬ。
従って、ほとんどのインド人はかつてのこの国のように子供の頃から死を目の当たりにして育っている。
インド人の言い方によれば、「死とは魂がもはや必要としなくなった“肉体を捨てる”」ことだ。
その人が意識的な生き方をした人であれば、それだけ死も意識的であり、死後もそうなる。
純粋な覚醒意識に到達した偉大な聖者はまったく平静に肉体を捨てることができる。
大きな視点から見れば、まるでたいしたことではないと知っているからだ。
こうしたレベルの意識を直接体験できる人は世界に一握りしかいないが、それでも誰もがこの可能性を持っていることを指し示してくれる。
肉体や精神、さらには魂までも超越して、死が破壊することのできない“魂(たましい)”に安らぐ部分が自分の中にあり、その部分と一体化して生きる可能性を示してくれる。

 西洋の多くの哲学者たちも人生のある時期において死のベールをはいで、その後にくるものを次のように叙述している。

死とはここからあそこへの移動にほかならない。
                                        -プラトン(古代ギリシャ哲学者)

死後に起こることはあまりに素晴らしくて、とても言葉にすることはできない。私たちの想像力や感情でそれを説 明しようとしてもあまりにも不十分だ。
                                        ―C・G・ユング(スイスの分析心理学者)

私があなたの目の前にこうしているのと同じくらい確実に、私はこれまで一千回も生まれています。
そしてもう 一千回、生まれ変わりたいと思っているんですよ。

                                        h004-ゲーテ(19世紀ドイツの詩人、小説家、哲学者)

2015-02-01 | Posted in 魂のめざめ