金沢妄想奇譚

妄想奇譚 その一

myself001このブログは、ようやく人生の帳が降りることを自覚し始めた独居老人の戯言(たわごと)である。

これから書き連ねていく物語は、常識や世間体に染まっている人には解読不能な出来事であり、それらのお話は、私の妄想によるでっち上げ!であり、決してノンフィクションとして捉えてはいけません。かといって、時として嘘から誠がほとばしるように、妄想奇譚(もうそうきたん)からリアルを超えた超リアルな世界が現出しないともかぎりません。このブログの読み手は、眉に唾をたっぷりとつけて、私の描く物語に呑み込まれないように、こころして読み進んでいただきたい。

私がわたしとして生まれたのは、今から11年前にさかのぼる。当時、50代初めの私に初孫が生まれたのだ。一人娘に孫娘が生まれたと聞いた時、私はいきなり現実がでんぐりかえって、世界が逆さ向きに、まるで雨どいを音を立てて落下する雨粒のように私めがけて落ち込んできたような感覚にとらわれた。

産院のベッドに眠る孫娘と初めて対面したとき、彼女は小さな手を握り締めたまま眠っていたのだが、横のベッドに眠る出産を終えたばかりの娘が寝返りを打つと同時に、孫娘の目が一瞬、パックリと開いた。その刹那、赤ん坊を覗き込む私が体外から離れて病室の天井付近に漂い始めたのだ。え~?いったい何が起きたんだ!。風船のようにフラフラと浮かびながら私が孫娘を見下ろすと、孫娘が〈うすらぼんやり〉とした眼差し〉で私を見ている。これまでの人生の途上で重ねた虚飾や、都合のいい自己像が、孫娘の〈うすらぼんやりとした眼差し〉によって、串刺しに射抜かれてしまったのだ.。その時以来、生まれたばかりの孫娘に、それまで後生大事にしてきた私のすべてが、グルリ~ンとひっくり返されてしまった。そこで、私は〈私〉を辞めて(それまでの私自身に辞表を提出して)、新たな〈わたし〉として生きなおすことになったのだ。生まれたばかりの赤ん坊にわたしが産み出されて以来、それまでの人生では見えなかった風景が垣間見えるようになったので、これまでよりはるかに楽しく毎日を送れるようになった。

いまでは、わたしは三人の孫のジジィである。そんなに遠くない日に、ところてんや寒天のように、ニュルっと〈孫の成長〉という突出し棒で押されて、人生を終えるだろう。金沢に住みながら、金沢市内に単身赴任?(十数年前の夜、タバコを買いに近所のコンビニに出かけて以来、自宅に戻っていない)したまま還暦を過ぎてしまった。「老人破産」というNHKの特別番組を見ているうちに、あ~わたしは「老人破たん」だなぁ~とひとりつぶやきながら、老人としての清く正しい!生き方ができない自分を笑った。

このような〈わたし〉でも、人様に誇れる才能がたった一つだけ有ると自負している。それは、果てしなく妄想を膨らませて物語をねつ造する能力だ。常識と非常識の境界線に揺らめき立ちながら、逆立ちして見える景色を色彩のある世界に塗り替える力技、メチエである。あの世とこの世を往還しながら、魂が紡ぎだす物語に誰よりも感応してじっと耳を澄ませることができる、聞く力だ。

次回から、始まる「妄想奇譚」に、ご期待ください、ね。

2015-01-09 | Posted in 金沢妄想奇譚